一人で居ても淋しくない人間になれ。頭山満翁の覚悟に学ぶ

桜が散るこの季節、宮司は一人の翁の言葉を繰り返し思い起こす。
『一人で居ても 淋しくない 人間になれ!』
これは、明治・大正・昭和の三代を生き抜いた在野の国士、頭山満翁の言葉である。翁は安政二年(一八五五年)、福岡の城下町に生まれ、九十年の生涯を、肩書きにも利益にも媚びることなく、ただ己の信ずる道を歩んだ。その葬儀に際し、昭和天皇陛下から花一対、幣帛と祭祀料が賜られた。在野の民間人として、これほどの敬意を受けた人物が、果たして令和の日本に何人いるだろうか。
宮司が長年、師と仰ぎ教えを受けてきた大先達が三人いる。西郷南洲翁、頭山満翁、中村天風翁、この三人である。それぞれ時代も生き方も異なるが、三人に共通する精神がある。「覚悟」の深さ、「生き様」の清廉さ、そして「無一物処無尽蔵」という無欲の境地である。名も要らず、金も要らず、地位に執着せず、ただ大義のために動く。その姿は、令和の今にあってこそ、一層際立って見える。
頭山翁は幼い頃から大塩平八郎の精神に触れ、四書五経を学び、葉隠の精神を生涯の骨格とした。西郷翁を範として「金も要らず名も要らない人」を目指し、在野の立場を一貫して守りながら、国の大事に際しては己の信念を曲げることなく動き続けた。明治十四年に玄洋社を立ち上げ、孫文や朝鮮独立運動の志士を助け、亡命中のインド独立運動志士ボースの保護にも尽力した。利害の計算ではなく、ただ正しいと信ずる大義のために体を動かした人物であった。
翁が門弟たちに繰り返し言われた言葉がある。
『人の半歩先を行け』
一歩先では人がついてこられない。あまり先を行くと自分自身にも無理がたたり、長続きしない。しかし間違っても人の後を「のこのこ」ついて行くようではいけない——翁はそう言われた。この言葉の奥には、単なる処世術を超えた人間の在り方が示されている。社会と繋がりながら社会に流されない。先人に学びながら過去に縛られない。志を持ちながら驕らない。半歩という絶妙な距離の中に、翁の生涯かけて磨いた人間観が凝縮されている。
令和の世を見渡すとき、人が人の後を「のこのこ」ついていく光景が、あまりにも多くなった。SNSの中で誰かの言葉に同調し、流行に乗り、顔の見えない多数の意見に自らを合わせる。一見すると繋がっているように見えて、実は自分の軸を失い、風に吹かれるたびに揺れる葦のような状態である。そのような時代にあって、頭山翁の「半歩先を行け」という言葉は、今まさに骨に刺さる言霊として響く。
『一人で居ても淋しくない人間になれ』——この翁の言葉も、同じ根から生えている。孤独を恐れず、むしろ孤独の中に己を鍛える力を見出せ、ということである。誰かに褒められなくても、己が正しいと信ずる道を歩める心の力。承認がなくとも揺らがない内なる軸。それが人として立つための第一の柱である。翁は九十年の生涯を通じて、この境地を体現し続けた。大きな事業も、名声も、財産も求めず、ただ己の大義に従い動き続けた翁の生き方そのものが、この言葉の最も雄弁な注釈である。
宮司が三人の大先達に共通して感じるのは、「無一物処無尽蔵」という境地の深さである。何も持たないところに、無限の蔵がある。禅のこの言葉が示すように、物に依存せず、地位に依存せず、評判に依存しない人間の内側には、尽きることのない力が湧き出てくる。現代の日本人は、あまりにも多くのものを「持とう」としすぎていはしないか。資産を持ち、地位を持ち、人脈を持ち、フォロワーを持ち、その重荷を背負いながら、肝心の己自身の心を失っていく。頭山翁は逆の道を示した。捨てることで得られる自由、手放すことで生まれる強さ、無欲であることが生み出す底知れぬ豊かさ、それである。
翁は詠んでいる。「百億も一つ赤子の如くにて 世界一家の春は来にけり」と。百億の人がいても、みな同じ命である。世界は一つの家族である。そのような深く大きな人間観を持ちながら、翁は在野に生きた。西欧植民地主義がアジアを蚕食していた時代に、アジア諸民族の自立と連帯を信じ、孫文をはじめとする多くの志士たちと国境を超えた人間的信頼を結んだ。利益のためでも、名声のためでもない。その無私の大きさが、人を引きつけ、歴史の流れを動かした。
宮司は思う。人物の格は、声の大きさでも、地位の高さでも、富の多さでも測れない。強きに媚びず、弱きに寄り添い、損をしてでも正しい道を選べるか。称賛される場では胸を張り、非難される場ではなお静かに己を律せられるか。そして、誰にも見られていない場所で、己の誠を尽くせるか。その積み重ねが、見えないところから人の器を形づくり、やがて国の背骨を支える。
頭山翁が生きた時代と、令和の時代は違う。しかし、人間が問われる本質は変わらない。時代が便利になっても、豊かになっても、「己はいかに生きるか」という問いは、一人ひとりの胸の前に立ちはだかり続ける。葉隠の精神が説く「今この瞬間を完全に燃やし尽くすこと」は、令和を生きる日本人にも等しく問われている。明日の保険を考えて今日を妥協するのではなく、今日という一日を惜しみなく生き切ること。その姿勢こそが、大和魂の根である。
大和魂とは、声高に叫ぶものではない。誠を尽くすこと、義を重んずること、恩を忘れぬこと、弱き者に寄り添い強き者に媚びぬこと。そうした日々の選択の一つひとつの中で磨かれ、次の世代へと手渡されていくものである。頭山翁が残した精神は、歴史の書物の中だけにあるのではない。その生き方を範として、自らの日常の中に活かそうとする者の心の中に、静かに、しかし確かに息づいている。
この春、宮司は願う。「一人で居ても淋しくない人間」を目指す者が、令和の日本に一人でも多く現れることを。頭山翁に近づく男が、この時代に現れることを。翁の言う「人の半歩先を行く」覚悟を持ち、流れに棹さすことなく、しかし孤立を恐れず己の道を歩む人が増えるならば、この国の精神の根は必ずや守られる。
日本人の精神を磨くことは、遠い理想の話ではない。今日という一日を、誠実に、誇り高く生きることから始まる。宮司は、神前に向かいながら、そのことを静かに祈り続けている。
頭山満翁について
安政二年(一八五五年)、福岡生まれ。明治・大正・昭和の三代を生き、九十年の生涯を在野に貫いた国士。筑前玄洋社のシンボルとして知られ、国内の政界にも長く影響力を持ち続けた。
国内に留まらず、孫文ら中国革命志士との連携、朝鮮独立運動家の支援、インド独立運動志士ボースの保護など、西欧植民地主義に抗うアジア諸民族の自立を一貫して支持した。勲章も公職も求めず、西郷南洲翁を生涯の範として「金も要らず名も要らない人」であり続けた。
昭和十九年、九十歳にて逝去。葬儀には昭和天皇陛下から花一対、幣帛と祭祀料が賜られた。在野の民間人として、かくも厚き礼を受けた人物は後にも先にも稀有である。
