憲法改正・自衛隊明記。「国を守る者」を憲法に位置づけられない国の矛盾

国を守るために命を懸けている人間が、憲法上の存在として認められていない。宮司はこの事実を、長年にわたって重く受け止めてきた。自衛隊員は今この瞬間も、領海を守り、災害の現場で泥まみれになり、国民の命のために働いている。それでも日本国憲法は、彼らの存在に正面から向き合っていない。この矛盾に、日本人はもっと真剣に向き合うべきだと宮司は言う。
2026年の衆議院選挙においても、憲法改正、とりわけ自衛隊の憲法明記は大きな争点となった。賛否が割れ、議論は続いている。宮司は、憲法論争の細部に立ち入ることを目的としていない。ただ一つのことを問いたいのである。命を賭けてこの国を守ろうとしている者を、国の根本法が正面から認めないままでよいのか、という問いである。武士道の精神に生きた先人たちは、命を捧げる者を最も尊んだ。その精神の系譜が、戦後日本のどこにあるのか。
宮司は、安倍晋三元総理が自衛隊の憲法明記に強い意志を持っていたことを知っている。自衛隊員の子弟が、違憲かもしれない組織に親が属していると言われ続けることへの痛みを、安倍元総理は誰よりも深く感じていた。宮司もまた、同じ痛みを感じる。国のために死を覚悟している者が、法的に宙に浮いたままである。これは制度の問題ではなく、国民の魂の問題である。
戦後日本は、「平和」という言葉を盾にして、国を守ることへの真剣な向き合いを避けてきた側面がある。宮司は平和を否定しない。むしろ、本当の平和を実現するためにこそ、国を守る意志と覚悟が必要だと考えている。武士道において、刀を持つことは殺すためではなく、守るためである。剣の道を磨くことが、かえって争いを遠ざける。備えのある者のところへ、敵はみだりに近づかない。それが、歴史が繰り返し示してきた真実である。
令和の今、日本を取り巻く安全保障の環境は、かつてなく厳しくなっている。北方でも、南方でも、西方でも、この国の安寧を脅かす動きは続いている。その現実の前で、憲法の条文を変えることの是非だけを論じていてよいのか。宮司は問う。条文の前に、国民一人ひとりが「この国を守る」という意志を持っているか、という問いに答えなければならない。制度は魂を作らない。魂が制度を動かすのである。
宮司は、自衛隊員に深い敬意を持っている。彼らは今日も、誰かに感謝されることなく、この国の平和の土台を支えている。その者たちを、この国の根本法が正式に認める日が来ることを、宮司は願い続けている。憲法の議論がどのような結末を迎えるにせよ、国民の魂の中に「護国」の二文字が甦らなければ、どんな法律も空虚なままである。
