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安倍晋三元総理銅像建立

正論を吐く前に、己の心を磨け

わが師父は、かつて宮司を深く諫められた。「独学は往々にして独善に陥る事を知れ!」と。そして、さらに厳しく、しかし愛情をもって、こうも申されたのである。

「正論を吐く時は、誰かを傷つけていると知れ!」と。

この二つの言葉は、若き日の宮司にとっては、ただ厳しい戒めのように聞こえたものであるが、歳月を重ね、世の中の移ろいを見つめ、人の心の弱さと自分自身の未熟さを思い知らされるにつれ、いよいよ深く、いよいよ重く、魂の奥底に響いてくるのである。

令和の世は、まことに便利な時代となった。スマートフォンを一つ持てば、誰もが世に向かって意見を語ることができ、怒りを表すことができ、誰かを批判することができ、時には見知らぬ人の人生にまで踏み込んで、その人を裁くような言葉を投げつけることさえできるようになった。

だが、宮司は思う。

その言葉は、本当に日本人としての品格を帯びた言葉であるのか。それとも、自分の怒りや不満や嫉妬を、正義という美しい衣で包んでいるだけではないのか。自分は真理を語っているつもりで、実はただ相手を打ち負かしたいだけではないのか。世のため人のため国のためと言いながら、その実、自分の小さな自尊心を満たしたいだけではないのか。

正論とは、まことに難しいものである。

正しいことは、必ずしも人を救うとは限らない。正しい言葉であっても、発する者の心が濁っていれば、その言葉は刃となり、人の心を裂き、人と人との縁を断ち、世の中にさらに深い憎しみを生み出してしまうことがある。

もちろん、宮司は、何も語るなと言っているのではない。世の中には、黙っていてはならぬ時がある。日本の国柄が踏みにじられる時、祖先の名誉が汚される時、子供たちから誇りが奪われる時、神々への畏れを忘れた浅薄な言葉が世の中を覆う時、その時に沈黙することは、美徳ではなく、時に罪である。

しかし、語るならば、まず己の心を磨いてから語らねばならぬ。

怒りで語ってはならぬ。憎しみで語ってはならぬ。相手を見下す心で語ってはならぬ。自分だけが正しいと決めつける心で語ってはならぬ。たとえ厳しいことを言わねばならぬ時であっても、その根底には、相手を滅ぼしたいという心ではなく、世を正したい、日本を甦らせたい、人の魂に火を灯したいという祈りがなければならぬのである。

師父も師匠も、今は天国にいらっしゃる。

「この考えは正しいですか」「この言葉は間違っていませんか」「宮司は独善に陥ってはいませんか」と、天上に向かって問いかけてみても、ただ空は青く、風は吹くだけで、何も答えは返ってこない。

だからこそ、人は、己の心の鏡に照らしてみるほかはないのである。

神前に座り、手を合わせ、しばし目を閉じて、自分の胸の奥に問うてみる。この言葉は誰かを救うための言葉であるのか、それとも誰かを傷つけて自分が気持ちよくなるための言葉であるのか。この言葉は日本を甦らせる言葉であるのか、それとも日本人の心をさらに荒ませる言葉であるのか。この言葉の奥に、まことの祈りはあるのか、それとも慢心と独善が潜んでいるのか。

日本人は古来、言葉に魂が宿ることを知っていた。

言霊である。

一つの言葉が、人を立ち上がらせることがある。一つの言葉が、人を深く絶望に落とすこともある。一つの言葉が、国を甦らせることがある。一つの言葉が、国を腐らせることもある。

だからこそ、言葉を発する者は、まず己の心を清めねばならぬのである。

令和の日本に必要なのは、声の大きな人ではない。人を論破することに長けた人でもない。もっともらしい知識を並べ、人を威圧する人でもない。本当に必要なのは、静かであっても心の澄んだ人であり、たとえ不器用であっても、神々と祖先に恥じぬ心で語る人であり、相手を打ち負かすためではなく、人の魂に火を灯すために言葉を尽くす人である。

何万、何千の人々と意見が違ってもよい。世間から笑われてもよい。一時、孤独になってもよい。

だが、自分に嘘だけはついてはならぬ。

自分の心が命ずるなら、恐れず語ればよい。しかし、その前に、己の慢心を祓え。己の怒りを鎮めよ。己の言葉を、神々と祖先の前に差し出してみよ。そこにやましさはないか。そこに私心はないか。そこに日本人としての品格はあるか。

宮司は思う。

正論を吐く前に、まず己の心を磨け。人を責める前に、まず己の一日を正せ。世を嘆く前に、まず家庭を整えよ。親を敬い、子に日本の物語を語り、仕事に誠を尽くし、神棚に手を合わせ、日の丸に礼を尽くす、その小さな積み重ねこそが、日本人の魂を磨く道なのである。

正しさを叫ぶことは、誰にでもできる。

だが、正しさを祈りにまで高めることは、容易ではない。そこに修行がある。そこに人格がある。そこに、日本人の魂がある。

令和の日本人よ。

言葉を粗末にしてはならぬ。怒りを正義と勘違いしてはならぬ。正論を刃にしてはならぬ。己の心を磨き、素心のままに、神々と祖先に恥じぬ言葉を語る者となれ。

それが、混迷の令和を生きるわれら日本人に課せられた、大切な修行なのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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