後醍醐天皇に学ぶ。王政復古の志と、令和に問われる日本人の覚悟

歴史とは、ただ過去を知るためのものではない。過去に生きた人々の志を通して、今を生きる私たちの姿勢を正すための鏡である。勝った者だけを称え、敗れた者を忘れ去るならば、歴史は魂を失う。そこに残るのは、年号と出来事の羅列にすぎない。
宮司は、後醍醐天皇の御生涯を思うとき、いつも胸に迫るものがある。
それは、時代の大きな流れに抗いながらも、なお日本の本来あるべき姿を取り戻そうとされた、烈しいまでの御志である。
後醍醐天皇は、第96代の天皇である。鎌倉時代の末、政治の実権は鎌倉幕府が握っていた。朝廷は存在していた。天皇もまた御位におられた。しかし、国の大きな決定には幕府の力が強く及び、武家の政治が長く世を支配していた。
今の人には、少し分かりにくいかもしれない。天皇が存在しながら、政治の実権は幕府にある。朝廷は尊ばれながらも、現実の権力は武家にある。そこには、日本という国の深いねじれがあった。
後醍醐天皇は、そのねじれを正そうとされたのである。
「国を治める根本は、いったいどこにあるのか」
この問いを、後醍醐天皇はただ胸の内に秘められたのではない。実際に行動へ移された。幕府の力が強大であることは、誰よりも御存じであったはずである。それでもなお、天皇自らが政治の中心に立ち、乱れた世を立て直すべきだと考えられた。
ここに、後醍醐天皇の偉大さがある。
人は、長く続いた仕組みを「仕方がない」と受け入れやすい。現実とはそういうものだと自分に言い聞かせ、やがて疑うことさえ忘れてしまう。だが、後醍醐天皇は違った。正すべきものは正さねばならない。取り戻すべきものは取り戻さねばならない。その御志が、御生涯を貫いていた。
もちろん、その道は平坦ではなかった。
倒幕の計画は一度ならず困難に直面した。後醍醐天皇は隠岐へ流される。普通ならば、そこで終わりである。帝でありながら都を離され、海を隔てた地に流される。その無念は、言葉に尽くせるものではない。
しかし、後醍醐天皇は折れなかった。
隠岐にあっても御志は消えず、やがて各地に動きが起こる。足利尊氏、新田義貞、楠木正成らが歴史の舞台へ現れ、元弘3年、すなわち1333年、約150年続いた鎌倉幕府はついに滅びた。
後醍醐天皇が成し遂げられた第一の大業は、鎌倉幕府を倒し、武家政治の大きな時代を終わらせたことである。
だが、それだけではない。
後醍醐天皇が成そうとされたものは、単なる権力の奪回ではなかった。建武の新政とは、天皇自らが政治を行い、国の根本を朝廷に取り戻そうとする試みであった。人事を改め、土地の問題を正し、功ある者に恩賞を与え、乱れた世を新しく組み立て直そうとされたのである。
それは、単なる制度改革ではない。日本の国柄を、もう一度、根から立て直そうとする御事業であった。
しかし、建武の新政は長くは続かなかった。
ここに、歴史の厳しさがある。
理想は高かった。御志は純粋であった。だが、世を動かすには、理想だけでは足りない。幕府を倒すために命を懸けた武士たちは、戦功に対する恩賞を求めた。土地を守り、家を守り、一族を守ることが、彼らにとっての現実であった。朝廷の理想と、武士の現実。その間には、深い溝があった。
やがて足利尊氏との対立は深まり、時代は南北朝の動乱へと進んでいく。後醍醐天皇の御願いは、すぐに安定した形で実を結ぶことはなかった。
では、後醍醐天皇の御生涯は失敗であったのか。
宮司は、断じてそうは思わない。
人の一生を、結果だけで裁いてはならない。歴史上の人物を、勝ったか負けたか、続いたか続かなかったかだけで見るならば、その人物が時代に投げかけた問いを見失う。後醍醐天皇は、たとえ建武の新政が短く終わったとしても、日本人に大きな問いを残された。
国の根本とは何か。
正統とは何か。
人は、時代の濁流の中で、どこまで志を貫けるのか。
この問いは、令和の今もなお生きている。
現代の日本は、物質的には豊かになった。情報はあふれ、便利さは増し、人々は多くのものを手にした。しかしその一方で、国家の根本を語る力、歴史を背負う覚悟、先人の志を継ぐ気概は、薄れてはいないだろうか。
目の前の損得に流され、空気に従い、長いものに巻かれる。そうした生き方が当たり前になったとき、人の心は弱くなる。国もまた弱くなる。
後醍醐天皇の御生涯から、令和の日本人が学ぶべきことは何か。
第一に、志なき現実主義は、国を衰えさせるということである。現実を見よという言葉は大切である。しかし、現実を見ることと、現実に屈することは違う。後醍醐天皇は、幕府の力という厳しい現実を前にしても、国の本来あるべき姿を忘れられなかった。
第二に、理想は、人々の働きと結びついてこそ力となるということである。どれほど尊い理想であっても、それを支える者たちの心を汲み取らなければ、世は一つにならない。武士にも武士の現実があり、民にも民の暮らしがある。志が高い者ほど、下にある声を聞かねばならない。
第三に、敗れた志の中にも、後世を照らす光があるということである。建武の新政は短かった。だが、その短さだけを見てはならない。後醍醐天皇の御志があったからこそ、鎌倉幕府は終わり、日本の歴史は次の時代へ動いたのである。
宮司は思う。今の日本に必要なのは、便利さではない。流行でもない。耳ざわりのよい言葉でもない。
必要なのは、国の根本に立ち返る勇気である。
後醍醐天皇は、困難を承知で立たれた。流罪を受けても折れず、敗れてもなお、御志を捨てられなかった。その御姿には、現代人が忘れかけた日本人の気魄がある。
志は高くあれ。
しかし、その志を現実に結ぶ歩みは、深く、丁寧であれ。
後醍醐天皇の御生涯は、この二つを私たちに教えている。理想を捨てれば、国は魂を失う。現実を見誤れば、理想は空に消える。その両方を抱えて歩むところに、真の覚悟がある。
甦れ、国の根本を問い、先人の志を受け継ぎ、困難の中にも折れぬ日本人の心。甦れ、後醍醐天皇の御志に学び、令和の世を正しく照らす、大和魂。
