安倍晋三元総理銅像除幕式を終えて ― 祈りは形となり、志は永遠に立つ

令和8年6月8日、長野県阿南町の安倍神像神社において、安倍晋三元総理の銅像除幕式を無事に斎行することができた。宮司は今、静かに手を合わせながら、この日までの道のりを思い返している。胸にあるのは、成功したという喜びだけではない。大きな仕事を終えたという安堵だけでもない。むしろ、ようやく一つの祈りが形となり、地上に立ったのだという、深い畏れに近い感情である。

銅像は、ただの銅ではない。石に台座を据え、金属を鋳込み、人の姿を写し取れば、それで銅像になるわけではない。そこに祈りがなければ、銅像はただの造形物である。そこに感謝がなければ、ただの記念物である。そこに志がなければ、時の流れの中で風化していく一つの物体にすぎない。宮司が安倍晋三元総理の銅像を建立したいと願ったのは、安倍元総理を単に偉人として顕彰したかったからではない。それ以上に、御霊をお慰めしたかったのである。

凶弾に倒れられたあの日、日本の空気は変わった。信じがたい出来事であった。言葉を失った人も多かったであろう。怒りを覚えた人も、悲しみに沈んだ人も、ただ呆然と立ち尽くした人もいたであろう。宮司もまた、深い痛みの中にいた。しかし、痛みだけで終わらせてはならないと思った。悲しみだけで終わらせてはならないと思った。人は、ただ泣くだけでは先人に報いることはできない。御霊を慰めるとは、悲しみに沈むことではなく、その人が命を懸けて守ろうとしたものを、残された者が受け継ぐことである。

安倍元総理は、日本を信じておられた。日本人の底力を信じておられた。世界の荒波の中で、日本が誇りを失わず、自由で開かれた国際秩序の中に立ち、祖国の歴史と文化を大切にしながら、未来へ向かって歩むことを願っておられた。その志を、私たちはどこまで受け止めているだろうか。この問いが、宮司の胸にずっとあった。だからこそ、銅像建立は単なる記念事業ではなかった。宮司にとってそれは、慰霊であり、報恩であり、後世への誓いであった。

「安倍元総理の御姿を、この地に残したい」。そう願ったとき、多くの困難があった。思いだけでは事は進まない。場所を整えねばならない。資金を集めねばならない。銅像を制作してくださる方とのご縁を結ばねばならない。賛同してくださる方々に、なぜ今、これを成さねばならないのかを伝え続けねばならない。人は、ときに笑う。人は、ときに疑う。なぜそこまでするのか。なぜ銅像なのか。なぜ神社なのか。なぜ今なのか。しかし宮司は思う。大切なことほど、すぐには理解されないものである。世の中が軽くなればなるほど、祈りの重みは見えにくくなる。目に見える利益ばかりを求める時代には、御霊を慰めるという営みの深さは、なかなか伝わらない。それでも、やらねばならないことがある。損得ではない。評判でもない。流行でもない。天地に恥じず、御霊に恥じず、祖先に恥じず、後世の子供たちに恥じぬように、今を生きる者として成さねばならないことがある。この銅像建立は、その一つであった。

除幕式当日、安倍神像神社の地に多くの方々が集まってくださった。安倍昭恵さんをはじめ、安倍元総理にゆかりのある方々、国を思う方々、遠方より心を寄せてくださった方々が、この小さな山里に足を運んでくださった。産経新聞もこの日の様子を動画記事として報じ、安倍昭恵さんや石平参議院議員らが参列されたこと、高市早苗総理が祝電を寄せられたことを伝えてくださった。ありがたいことである。しかし、宮司の胸を最も打ったのは、報道の大きさではない。肩書きの重さでもない。あの日、あの場所に流れていた空気である。そこには、静かな祈りがあった。それぞれの立場を超えて、安倍元総理の御霊に手を合わせる心があった。日本の行く末を案じ、しかし諦めず、もう一度この国を立て直したいと願う心があった。

神事において、皇居遥拝を行い、国旗を掲げ、君が代が流れたとき、宮司は深く感じた。日本は、単なる制度ではない。日本は、単なる経済圏ではない。日本は、祖先から受け継いだ祈りの国である。天皇を中心に、山川草木に神を感じ、父母を敬い、先人を偲び、子孫のために働く。その連なりの中に、私たちは生かされている。現代人は、自分一人で生きていると思いやすい。自分の力で稼ぎ、自分の考えで選び、自分の人生を自由に生きていると思いやすい。もちろん、自立は尊い。自由も尊い。だが、人は自分一人で生まれたのではない。国もまた、一世代でできたのではない。父母があり、祖父母があり、名もなき先人たちの汗と祈りがあり、戦いがあり、忍耐があり、犠牲があり、そのすべての上に今日の日本がある。安倍元総理の御姿を銅像として立てるということは、その連なりの中に、令和を生きる私たちの感謝を刻むことでもあった。

除幕の瞬間、白布が解かれ、安倍元総理の御姿が現れた。左手にマイクを持ち、右手の拳を突き出す御姿である。宮司はその瞬間、胸の奥が熱くなった。そこに立っておられたのは、過去の人ではなかった。今なお語りかけてくる御姿であった。「日本を取り戻すとは、どういうことか」「誇りある国とは、どういう国か」「あなたは、何を守るために生きるのか」。そう問われているようであった。銅像は、口を開かない。しかし、真に祈りを込めて建立された像は、人の心に語りかける。目に見えぬ声を持つ。近くを通る人、手を合わせる人、写真を撮る人、子供を連れて訪れる人、その一人一人の胸に、静かに問いを置いていく。宮司は、その問いこそが大切だと思う。

安倍元総理を偲ぶとは、ただ名前を語ることではない。安倍元総理を敬うとは、ただ銅像を仰ぐことではない。御遺徳を受け継ぐとは、自分自身の生き方を変えることである。家庭を守る。地域を守る。神社を守る。国を守る。日本語を大切にする。歴史を学ぶ。祖先に感謝する。父母を敬う。子供たちに誇りを伝える。困難が来ても、簡単に諦めない。大きな政治を語る前に、まず自分の足元を正すことである。国家とは、遠い霞の中にあるものではない。国家とは、日々の暮らしの中にある。朝、神棚に手を合わせる心の中にある。食卓で「いただきます」と言う心の中にある。亡き人を偲ぶ心の中にある。約束を守る心、恩を忘れぬ心、弱き者を助ける心、正しいことを正しいと言う勇気の中にある。安倍元総理の志もまた、そこに帰ってくるのではないか。

この日、銅像製作者である青山三郎先生へ感謝状を贈呈した。青山先生が形にしてくださったのは、単なる外見ではない。そこには、安倍元総理の気迫、言葉、温かさ、そして日本のために立ち続けた精神が込められていた。また、高市早苗総理大臣からの祝電が披露されたことも、宮司にとって忘れがたいことであった。以前より祝辞のお申し出を賜っていたが、式の場でそのお心が伝えられたとき、この銅像建立が多くの方々の祈りと志に支えられていることを、あらためて実感した。

だが、宮司はここで慢心してはならないと思っている。銅像が建ったから終わりではない。除幕式が無事に済んだから終わりではない。新聞に報じられたから終わりではない。ここからが始まりである。形ができたなら、その形に魂を入れ続けねばならない。神社は、一度建てれば終わりではない。祭祀を続け、清掃を続け、祈りを続け、人々が訪れる場として守り続けてこそ、そこに生命が宿る。銅像も同じである。

これから何年、何十年と、この御姿の前に人が立つであろう。安倍元総理を知る世代も来る。安倍元総理を直接知らない世代も来る。やがて、子供たちが大人になり、「この方はどのような人だったのですか」と問う日が来る。そのとき、私たちは何を語るのか。ただ「昔の総理大臣です」と言うだけでよいのか。ただ「銃撃で亡くなられた方です」と言うだけでよいのか。そうではない。日本を愛し、日本を信じ、日本の誇りを取り戻そうと働かれた方であると伝えねばならない。困難の中で立ち、批判の中でも退かず、国の未来を見つめ続けた方であると伝えねばならない。そして同時に、「では、あなたはどう生きるのか」と、次の世代へ問いを渡さねばならない。

教育とは、知識を詰め込むことだけではない。本当の教育とは、誇りを手渡すことである。祈りとは、過去へ向かうだけではない。本当の祈りとは、未来へ責任を持つことである。宮司は、今回の除幕式を通して、そのことをあらためて深く感じた。多くの方々が準備に奔走してくださった。受付をしてくださった方がいる。誘導をしてくださった方がいる。撮影をしてくださった方がいる。会場を整え、送迎を担い、奉納芸能を捧げ、撤収まで力を尽くしてくださった方がいる。その一つ一つの働きが、祈りであった。祈りとは、祝詞だけではない。祈りとは、手を合わせることだけでもない。誰かのために黙って働くことも祈りである。見えないところを整えることも祈りである。暑さや疲れをこらえ、笑顔で人を迎えることも祈りである。この日、安倍神像神社と阿南町民体育館に満ちていたものは、そのような生きた祈りであった。

宮司は、すべての皆様に心より御礼を申し上げたい。安倍昭恵さん、ご来賓の皆様、実行委員会の皆様、ご奉仕くださった皆様、全国よりご支援くださった皆様、そしてこの日を心に留め、報じてくださった報道関係の皆様、本当にありがとうございました。

令和8年6月8日、阿南町の地に、安倍晋三元総理の御姿が立った。それは、過去を飾るための像ではない。未来を照らすための像である。それは、悲しみを閉じ込めるための像ではない。志を甦らせるための像である。それは、宮司一人の思いで立ったものではない。多くの方々の祈りと、汗と、真心によって立ったものである。

宮司は思う。日本は、まだ終わっていない。この国には、まだ恩を忘れぬ人がいる。御霊に手を合わせる人がいる。先人の志を受け継ごうとする人がいる。たとえ声は小さくとも、世の片隅で、黙々と国を支える人々がいる。その人々がいる限り、日本は甦る。銅像は立った。次に立つべきは、私たち一人一人の心である。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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