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日本の伝統と文化を、暮らしの中へ

国旗、皇室の祈り、和紙、日本茶など、日本の文化を身近に感じられる品をご案内します。

国旗

日本製の日の丸

軽く、しわになりにくい生地を用いた日本製の国旗です。家庭や事業所での掲揚に。

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皇室・祭祀

『宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り』

天皇の祈りと宮中祭祀について学び、日本の伝統への理解を深めるための一冊です。

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日本茶・海苔

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江戸の文化と味を未来へ

日本製・越前和紙の御朱印帳

ちりめん生地と越前和紙を用いた、日本製の御朱印帳です。参拝の記録を大切に残す一冊として。

黄泉国。死を知り、今ある命を生き切る

『古事記』には、伊邪那岐命が亡き妻・伊邪那美命を追って黄泉国へ赴く物語が記されている。国生みと神生みを共に成し遂げた二柱であったが、伊邪那美命は火の神を産んだことによって命を落とされ、死者の国へ去られた。愛する妻を失った伊邪那岐命は、その別れを受け入れることができず、もう一度会いたいという思いから黄泉国まで追って行かれたのである。

宮司は、この物語を読むたびに、人間の愛の深さと、死という越えることのできない境を思う。愛する者を失った時、もう一度だけ声を聞きたい、もう一度だけ顔を見たい、もう一度だけ言葉を交わしたいと願うのは、昔も今も変わらぬ人の心である。

伊邪那岐命が黄泉国へ着くと、伊邪那美命は御殿の閉ざされた戸の向こうから迎えられた。伊邪那岐命は、愛しい妻に向かって言われた。

「私とあなたとでつくった国は、まだ完成していない。どうか私と共に帰ってほしい」

この言葉には、単なる夫婦の情だけではなく、共に果たすべき使命がまだ残っているという切実な思いが込められている。二柱で始めた国づくりを、二柱で成し遂げたい。その願いは深く、まことに人間的である。

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しかし、伊邪那美命は、すでに黄泉国の食べ物を口にしてしまったため、容易には地上へ戻れないと答えられた。それでも、わざわざ迎えに来てくれた夫の思いに応えようと、黄泉の神々に相談してみると告げられた。そして、その間は決して自分の姿を見ないよう、伊邪那岐命に願われた。

ここでも「見てはならない」という約束が現れる。

日本神話には、見てはならぬものを見たために、愛する者との別れを招く物語がある。そこには、人間の好奇心を戒めるだけではなく、相手の尊厳を守ること、約束を守ること、見えないものを信じて待つことの大切さが示されている。

ところが、伊邪那美命はなかなか戻ってこない。伊邪那岐命は待ち切れなくなり、髪に挿していた櫛の歯を折り、火を灯して御殿の中へ入られた。

そこで見たものは、かつて愛した妻の美しい姿ではなかった。伊邪那美命の身体は腐敗し、蛆がたかり、八柱の雷神が身に生じていた。

伊邪那岐命は恐れ、逃げ出された。

宮司は、この場面を、死者への恐怖だけを描いたものとは思わない。ここには、人間が決して避けることのできない「死の現実」が、あまりにも厳しく示されている。

生あるものは、やがて死ぬ。若さも、美しさも、力も、地位も、この世に永遠に留めることはできない。どれほど愛する者であっても、死者を生前の姿のまま自分のもとへ取り戻すことはできない。

頭では分かっていても、心はその現実を簡単には受け入れられない。だから人は、失った者の面影を求め、過ぎ去った日々へ戻ろうとする。しかし、時は後ろへ進まない。死者には死者の世界があり、生者には生者の務めがある。

伊邪那美命は、自らの変わり果てた姿を見られたことを恥じ、怒られた。そして黄泉津醜女を遣わし、さらに八柱の雷神と黄泉の軍勢に伊邪那岐命を追わせられた。

愛する者を迎えに行ったはずの旅が、命懸けの逃走へと変わっていく。

宮司がこの物語に感じるのは、愛が深いからこそ、裏切られた時の怒りも深くなるということである。伊邪那美命にとって、「見ないでほしい」という願いは、自らの最後の尊厳を守るための願いであった。その約束が破られたことで、愛情は怒りへと転じた。

人と人との関係も同じである。信頼は、一日では築けない。しかし、一度の約束違反によって崩れることがある。相手を思っているつもりでも、自分の感情を優先し、相手の願いを踏みにじれば、その愛は独りよがりな執着となる。

愛とは、相手を自分の思いどおりにすることではない。相手の心と尊厳を守ることだ。

伊邪那岐命は、追っ手から逃れるため、髪につけていた黒い鬘を投げられた。すると山葡萄が実り、黄泉津醜女はそれを食べ始めた。その隙に逃げるが、再び追いつかれそうになる。今度は櫛の歯を投げると筍が生え、追っ手がそれを食べている間に、さらに逃げ延びられた。

それでも八柱の雷神と千五百の黄泉の軍勢が迫ってきたため、伊邪那岐命は十拳剣を抜き、後ろ手に振り払いながら逃げ続けられた。

そして黄泉比良坂まで辿り着いた時、そこに生っていた桃の実を三つ取り、追っ手へ投げつけた。すると黄泉の軍勢は、ことごとく逃げ帰った。

桃は、古来、邪気を祓う力を持つものとして考えられてきた。伊邪那岐命は、自らを救った桃に向かい、葦原中国の人々が苦しみ悩む時には、同じように助けるよう命じ、意富加牟豆美命という神名を授けられた。

宮司は、ここに日本人の信仰の一つの原点を見る。

人は、危難の中で救われた時、その恩を自分だけのものにしてはならない。自分が助かったならば、その救いが他の苦しむ人々にも及ぶよう願う。受けた恩を、次の者へ返していく。その心によって、一つの実が神となり、人々を守る力となる。

自分だけが助かればよいのではない。

自らが苦難を越えたならば、その経験によって次の人を励ます。自らが受けた慈しみを、苦しむ者へ分け与える。自分を救った言葉を、今度は誰かに伝える。

それが恩を神徳へと高めていく道である。

最後には、伊邪那美命御自身が追って来られた。伊邪那岐命は、千人もの力でなければ動かせないほどの巨大な岩を黄泉比良坂に置き、生者の国と死者の国を隔てられた。

二柱は、その大岩を挟んで向き合われた。

かつて共に国を生み、神々を生み、愛し合った夫婦である。その二柱が、今や生と死の世界に分かれ、二度と戻れぬ別れの言葉を交わされる。

伊邪那美命は言われた。

「あなたがこのようなことをするならば、あなたの国の人々を一日に千人殺しましょう」

これに対して伊邪那岐命は答えられた。

「それならば、私は一日に千五百の産屋を建てよう」

この言葉によって、一日に千人が死に、一日に千五百人が生まれるようになったと『古事記』は伝える。

宮司は、この場面に、日本神話の底知れぬ生命観を見る。

死はなくならない。どれほど文明が進み、医学が発達しても、人は死を完全に退けることはできない。しかし、死があるからといって、生命の営みが絶えるわけではない。

千人が亡くなるなら、千五百人の命を迎える。

死の力よりも、生命の力を大きくする。失われる命よりも、多くの命を生み、育て、つないでいく。この伊邪那岐命の宣言には、死に屈せず、生命を守り抜こうとする強い御心がある。

日本神話は、死をなかったことにはしない。死の恐ろしさも、腐敗も、別離の悲しみも、正面から描いている。しかし、それだけで終わらない。

死があるからこそ、生を生み出す。別れがあるからこそ、今ある縁を尊ぶ。命に限りがあるからこそ、一日一日を大切に生きる。

そこに、日本人の生命観がある。

現代の私たちは、死を日常から遠ざけようとする。老いを隠し、病を嫌い、亡くなった者のことを早く忘れようとする。しかし、死を見ないようにするほど、命の有難さも分からなくなる。

人は必ず死ぬ。

この厳粛な事実を胸に置くことは、暗く生きることではない。むしろ、今日を真剣に生きるための教えである。

明日も必ず目が覚めるとは限らない。今日会った人と、再び会えるとは限らない。言うべき感謝を伝えられる機会が、いつまでも残されているとは限らない。

だからこそ、今を粗末にしてはならない。

親に感謝を伝える。家族を大切にする。仲違いをしている相手がいれば、意地を捨てて言葉を交わす。与えられた務めを、今日できる限り果たす。

死を知る者ほど、生を大切にできる。

伊邪那岐命は、愛する妻を取り戻すことはできなかった。しかし、黄泉国から帰還することによって、死者を追い続けるのではなく、生者の国を守り、新たな命を生み出す道へ進まれた。

これは、悲しみを忘れたということではない。

真に亡き人を弔うとは、その人のことをいつまでも嘆き続け、自分の命まで止めてしまうことではない。亡き人から受けた愛や教えを胸に、生き残った者が自らの人生を立派に生きることだ。

亡き父母が願うのは、子供がいつまでも泣き続けることではない。残された者が幸せになり、正しく働き、家族を守り、命を次の世代へつないでいくことである。

宮司は、祖霊をお祀りする意味も、そこにあると思っている。

祖先は、遠い死者ではない。私たちの命の中に生きている。顔立ちや身体だけではなく、言葉、気質、教え、家の歴史となって、今の私たちへつながっている。

墓前や神前で手を合わせる時、私たちは亡き人をこの世へ引き戻そうとしているのではない。その御霊に感謝し、自分が今ある命をどう生きるかを申し上げている。

「あなたからいただいた命を、粗末にはいたしません」

「あなたの志を受け継ぎ、恥じぬように生きてまいります」

その決意が、何よりの供養となる。

黄泉国は、単に恐ろしい死者の世界ではない。生者に、生きる覚悟を教える場所である。

伊邪那岐命は、死の世界を見たからこそ、生の尊さを知った。愛する者を失ったからこそ、残された国と命を守る覚悟を立てられた。

人間もまた、大きな悲しみを経験した時、生き方を問われる。

なぜ自分だけが、このような目に遭うのかと恨み続けるのか。それとも、亡き人の分まで自分の命を生かし、誰かを守り、世の中のために尽くすのか。

悲しみは、簡単には消えない。忘れる必要もない。大切なのは、その悲しみをどのような力へ変えるかである。

涙を、人への優しさへ変える。別れの痛みを、今ある縁への感謝へ変える。失った者への思いを、自分が果たすべき使命へ変える。

それが、生き残った者の務めである。

伊邪那美命は、黄泉津大神となり、死者の国を治められた。伊邪那岐命は、生者の世界へ戻り、禊によって穢れを祓い、新たな神々をお生みになる。

死と生は、完全に無関係なものではない。死を経験したところから、新たな生命と神聖な力が生まれていく。

宮司は、人生の苦難も同じだと思っている。

人は、失敗し、挫折し、大切なものを失う。その時には、すべてが終わったように感じる。しかし、そこから心を清め、立ち上がるならば、以前にはなかった新しい力が生まれる。

黄泉国へ下りた経験が、伊邪那岐命を終わらせたのではない。その後の禊と、新たな神々の誕生へつながったのである。

人生にも、黄泉国のような暗闇がある。

希望を失い、出口が見えず、心が死んだように感じる時がある。しかし、そこが人生の終わりとは限らない。その暗闇から逃げず、自らの弱さや執着と向き合い、心を祓い清めた時、人は新しく生まれ変わることができる。

ただし、黄泉国に留まり続けてはならない。

過去の失敗、失った人、消えない悔恨。それらを忘れられなくてもよい。しかし、それに引かれて自分まで死者の国へ留まってはならない。

千引の岩を置くべき時には、置かなければならない。

それは冷たさではない。生きるための決断である。

過去と今を分け、死者と生者の務めを分け、戻ることのできないものを受け入れる。そして、自らが生きるべき場所へ帰る。

宮司は、それが黄泉比良坂の物語が現代の私たちに教えていることだと思う。

人生には、越えてはならない境があり、戻ってはならない場所がある。いつまでも過去へ心を引かれていれば、今を生きる力を失う。

別れを受け入れることは、愛を捨てることではない。むしろ、愛を正しい形で胸に納めることだ。

死者を死者の国に丁重にお祀りし、生者は生者の国で務めを果たす。そして、やがて自らの命が尽きる日まで、いただいた命を懸命に生き抜く。

神話は、私たちに問うている。

お前は、限りある命を何のために使うのか。

亡き人から受け継いだものを、次の世代へ渡しているか。

戻れない過去ばかりを見て、今日を粗末にしてはいないか。

一日に千人が死ぬならば、一日に千五百の産屋を建てる。その言葉の中に、死に屈しない日本人の生命力がある。

死を恐れるだけではなく、死を知るからこそ、強く生きる。

失うことを嘆くだけではなく、新たな命を守り育てる。

亡き人を忘れるのではなく、その志を自らの生き方として残す。

宮司は、それこそが祖先から受け継いだ命への礼であり、黄泉国の物語が私たちへ託した、厳しくも尊い教えであると信じている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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