食品消費税1%への決断。政治は国民の暮らしを守るためにある

自民党は、税制調査会と社会保障制度調査会の合同会議を開き、飲食料品の消費税率を1%に引き下げるための議論を本格化させた。高市早苗総理は、令和九年四月からの実施を目指し、中低所得者への現金給付と組み合わせることで、税負担を実質的にゼロとする方針を示している。
宮司は、この決断を高く評価したい。
これまで日本では、消費税が導入されて以来、税率は上がる一方であった。国民がどれほど物価高に苦しみ、生活を切り詰めても、政府は「財源がない」「社会保障を維持できない」と繰り返し、減税には背を向けてきた。
その固く閉ざされた扉を、高市総理が開こうとしている。
1%はゼロではない。しかし、政治が消費税率を引き下げる方向へ大きく舵を切った意味は決して小さくない。8%で固定されてきた飲食料品の税率を1%まで下げることは、これまでの政治の常識を覆す一歩である。
食べることは、すべての人間が生きていくために欠かすことのできない営みだ。所得の多い者も少ない者も、子供も高齢者も、毎日食料を買わなければ生きてはいけない。そこに一律で課される消費税は、所得の低い家庭ほど重くのしかかる。
物価が上がれば、同じ品物を買っても支払う消費税は増える。収入が増えなくても、税の負担だけは重くなる。宮司は、この仕組みをそのまま放置することが、国民に寄り添う政治だとは思わない。
食料品の消費税を引き下げれば、買い物をするたびに負担の軽減を実感できる。子育て世帯にも、年金で暮らす高齢者にも、働いても暮らしに余裕を持てない人にも届く。申請をしなければ受け取れない制度とは異なり、誰もが日々の生活の中で恩恵を受けることができる。
党内からは、財政規律や税収減を理由とする慎重論が出ているという。
もちろん、国家の財政を無視してよいわけではない。しかし、財政規律とは、国民の生活を犠牲にして帳簿の数字を整えることではない。国民が疲弊し、消費が落ち込み、商店が閉まり、地域経済が衰えれば、税収の土台そのものが失われる。
財政は国家を守るためにある。国家は国民を守るためにある。順序を取り違えてはならない。
宮司は、政治家が「財源」という言葉を、何もしないための盾にしてはならないと思う。国民に負担を求める時には速やかに決めながら、負担を軽くする時だけ財源を持ち出し、何年も議論を続ける。それでは国民の信頼を得られない。
無駄な事業はないのか。役割を終えた基金や補助金はないのか。外国への過剰な支援、成果の見えない政策、複雑に膨らんだ行政組織を見直す余地はないのか。政治が先に身を削り、支出の優先順位を正すことが必要である。
国家の予算は、限られた財源を何に使うかという意思の表明だ。
国民の食卓を守ることよりも優先されるものが、果たしてどれほどあるのか。財源を論じるのであれば、まずその問いに答えるべきである。
今回の減税方針は、自民党が衆議院選挙で国民に示した約束とも深く関わっている。選挙で掲げた政策は、票を得るためだけの言葉であってはならない。国民から託された以上、実行に移す責任がある。
高市総理が党内の慎重論を承知の上で、1%への引き下げを打ち出したことには覚悟が見える。これまで誰も踏み込めなかった領域へ踏み込み、国民の暮らしを守るために道を開こうとしている。
宮司は、政治とは決断であると思う。
すべての者が納得するまで待っていれば、何も変わらない。困難な時ほど、国家の指導者には、何を守るのかを明確に示す責任がある。批判を恐れず、国民のために決める。それが政治家の使命である。
ただし、1%への減税で終わってはならない。
実施後に、本当に店頭価格が下がったのか。家計の負担がどれほど軽くなったのか。中小の小売店や飲食店に過度な事務負担が生じていないか。制度をつくって終わりではなく、その効果を厳しく検証し、必要であればさらに踏み込むべきである。
国民が求めているのは、難しい制度の説明ではない。懸命に働けば家族を養え、安心して食事ができ、子供を育てられる暮らしである。
一所懸命に働く人が報われず、税と社会保険料に追われ、将来への希望を失う国であってはならない。国民の可処分所得を増やし、暮らしにゆとりを取り戻すことが、経済を立て直す第一歩となる。
宮司は、高市総理が開こうとしている減税への道を支持する。党内の抵抗に屈することなく、国民との約束を果たしていただきたい。
政治が守るべきものは、省庁の論理でも、制度の面子でもない。
毎日の食卓を囲む国民の暮らしである。
