大東亜戦争がアジアに残したもの。日本人は自らの歴史を取り戻せ

歴史は、勝った側の言葉だけで語っても、負けた側の言葉だけで語っても、本当の姿は見えてこない。宮司は、大東亜戦争についても、「日本は侵略した。それですべて終わり」と単純に片づける歴史観には、大きな欠落があると思っている。当時の世界、とりわけアジアがどのような状況に置かれていたのか。その時代背景を見なければ、歴史の全体像は決して見えてこない。
当時、アジアの広大な地域は欧米列強の植民地支配下にあった。インドは英国、インドネシアはオランダ、インドシナはフランスなど、それぞれ長い植民地支配の歴史を背負っていた。今日のように、アジア各国が当然のごとく独立国家として存在していた時代ではない。いま我々が当たり前だと思っている「民族の独立」は、当時は決して当たり前ではなかったのである。
東條英機が残したとされる言葉には、東亜民族としての誇りを説くものがある。その背景には、白人国家が世界の大部分を植民地として支配していた時代にあって、アジア民族もまた自らの尊厳を持ち、自らの国を自ら治めるべきだという思想があった。もちろん、このことだけをもって戦争のすべてを正当化することはできない。戦争によって多くの尊い命が失われ、日本軍による軍政にも、今日から見れば厳しく検証すべき事柄がある。それを無かったことにする必要はない。
しかし宮司は思う。日本の過ちを語ることと、日本が果たした歴史的役割まで否定することは、まったく別の話である。
日本が敗れた後、アジアでは植民地体制が大きく揺らいでいった。インドネシアなどでは、日本占領期に育成された組織や人材が、その後の独立運動に関わったと指摘されている。もちろん、アジア諸国の独立は日本だけの力で実現したものではない。それぞれの民族には、それ以前から独立を願い、命を懸けて戦ってきた人々がいた。その功績は、それぞれの国民自身に帰すべきものである。しかし、日本と欧米列強との戦争が、それまで絶対的に見えていた植民地支配の構造を大きく揺るがした。その歴史的側面まで消し去る必要はない。
大東亜戦争を「すべて正しかった」と言うのも違う。「すべて間違っていた」と言うのも違う。
歴史とは、そんなに薄っぺらいものではない。
宮司が残念に思うのは、日本の歴史を考えるとき、すぐに2つの極端な話になってしまうことである。日本人が誇るべきことは誇ればよい。過ちがあれば、過ちとして学べばよい。そして、命を懸けて国を守ろうとした先人には、静かに頭を垂れる。それでよいのである。
戦争に倒れた将兵の多くは、歴史学者でも政治家でもない。故郷に父母がおり、妻がおり、子供がおり、帰りたい家があった普通の日本人である。誰もが死にたかったわけではない。生きて帰りたかった。家族に会いたかった。それでも、自分がここで踏みとどまらなければ祖国や家族が危うくなると信じ、戦場に立った人々がいた。
その心まで、後世の我々が踏みにじってよいはずがない。
宮司は、英霊を敬うことは戦争を賛美することではないと思っている。彼らが何を守ろうとしたのかを忘れないこと。彼らの犠牲の上に、今の日本があることを忘れないこと。そして、二度と国を滅亡の淵へ追いやらないよう、強く賢い国家をつくること。それこそが英霊に対する本当の供養ではないだろうか。
靖国神社に参拝することも同じである。そこにあるのは、他国への憎しみではない。祖国のために散った人々への感謝であり、慰霊であり、「あなた方が守ろうとした日本を、我々はさらに立派な国として次の世代へ渡します」という誓いである。
戦後の日本人は、自国の歴史を語ることに、あまりにも臆病になった。日本の戦争目的について語れば軍国主義だと言われ、英霊への感謝を口にすれば戦争賛美だと決めつけられる。しかし、先人に感謝することと戦争を求めることは同じではない。戦争の悲惨さを知ることと、祖国のために命を捧げた人々を敬うことも、何ら矛盾しない。
宮司は、日本人にはもっと自分たちの歴史を、自分たち自身の眼で学んでほしいと思っている。日本側の記録も読む。アジア諸国の記録も読む。欧米の記録も読む。異なる立場の証言にも耳を傾ける。そして最後は、自分の頭で考えるのである。
先人を美化するためではない。先人を貶めるためでもない。本当の日本を知るためである。
大東亜戦争によって、日本は多くのものを失った。多くの尊い命を失い、国土も焼け野原になった。しかし、その激動を境にアジアの歴史が大きく動いたこともまた、見逃すことのできない歴史の1つの側面である。何が崩れ、何が生まれ、その後の世界がどう変わったのか。そこまで見なければ、本当の歴史を学んだことにはならない。
宮司は思う。日本人が日本の歴史を学ぶ目的は、過去を恨むためでも、他国を憎むためでもない。先人の歩みから知恵をいただき、日本の誇りを取り戻し、同時に過去の失敗から学び、より良い国を次の世代へ残すためである。
歴史に光だけを求めてはいけない。影だけを見てもいけない。
光と影の両方を見て、それでも祖国を愛する。
それが、本当の愛国心というものではないだろうか。
祖国に誇りを持つことと、他国を尊重することは決して矛盾しない。むしろ、自らの国の歴史と先人を大切にする者だからこそ、他国の歴史と誇りも尊重できる。
宮司は、先人への感謝を忘れず、日本人が自らの歴史を自らの眼で見つめ直し、誇りある日本を次の世代へ引き継いでいくことを願っている。それこそが、今を生きる我々の務めなのである。
