敗れて、なお立つ。榎本武揚の和魂洋才に学ぶ令和の生き方

歴史の中に、光の当たらぬ場所で黙々と燃え続けた人物がいる。勝者に称えられることもなく、藩閥の恩恵にも与れず、それでも時代の重荷を一身に引き受けて、この国のために己の才を尽くし切った人物がいる。宮司は折に触れ、そのような「忘れられた英傑」のことを思う。今日はその一人、榎本武揚のことを記しておきたい。
榎本武揚(1836年〜1908年)。幕末の幕臣として、函館五稜郭の最後の砦に立て篭もり、新政府軍と戦い、降伏し、牢獄に繋がれた男である。世間の多くはそこで榎本の物語を閉じてしまう。しかし宮司は問いたい。その後の榎本の生涯を知っているか、と。
牢獄を出た榎本は、かつての敵である明治政府に登用された。駐露特命全権公使として樺太・千島交換条約を締結し、海軍卿、文部大臣、外務大臣、農商務大臣を歴任した。かつて賊軍の首謀者として投獄された男が、である。旧幕臣でありながら薩長閥の支配する政府においてこれほどの重責を担い得たのは、ただ一つの理由による。彼の才能が純粋に国のためのものであり、権力や地位や名誉を欲する心が、榎本には微塵もなかったからだ。
オランダに5年間留学し、海軍技術、造船、砲術、蒸気機関、化学、国際法を修めた榎本は、「和魂洋才」という言葉を生身で体現した人物であった。大和魂という根っこを失わぬまま、西洋の知を貪欲に吸収し、それをこの国の未来のために注ぎ込んだ。明治24年には東京農業大学の前身となる学校を創設し、農業の重要性を若者に説いた。これが、五稜郭で刀折れ矢尽きるまで戦った、あの幕臣の辿り着いた晩年である。
令和の若者に、宮司はこの榎本武揚の生涯から3つのことを伝えたい。
第1に、敗北は終わりではないということだ。榎本は賊軍の首領として投獄され、世間の目には失敗者として映った。しかし彼はそこで朽ちなかった。逆境を嘆くのではなく、己の中にある力を磨き続けた。人生において、思い通りにならない時がある。それは魂が強くなるための砥石だと、宮司は信じている。
第2に、才能は己のためにあらず、ということだ。榎本が薩長から一目置かれたのは、その卓越した知識ゆえであったが、同時に彼が権力や私利を求めなかったからでもある。才能を自分の出世の道具にしようとする人間は、いつか限界に突き当たる。しかし国のため、人のため、時代のために才を尽くす者は、時代を超えて輝き続ける。
第3に、「和魂」を失わぬこと、これが最も肝要だということだ。榎本は西洋の最先端の知識を身につけながら、大和魂という根っこを決して手放さなかった。今の時代は、英語が話せること、海外の情報を取り込むことが持て囃される。それ自体は良いことだ。しかし洋才を磨くほどに和魂が薄れていくとすれば、それは骨抜きになるだけのことである。スマートフォンを使いこなしながらも、神前に手を合わせ、親に感謝し、この国の歴史を誇りとする心を持ってほしい。その両立こそが、榎本武揚が命をもって示した「和魂洋才」の真髄である。
忘れられた英傑は、今もこの国の土の下に眠っている。その命が積み重なった上に、令和の若者たちは立っている。その重みを感じるとき、人の魂は自ずと高みへと向かうはずだ。宮司はそれを信じ、今日も筆を執り、祈りを捧げる。
