徳を積む日々の作法。令和の日本人よ、小さな一歩を侮るな

晩春から初夏へと向かう季節。遠く高い空を眺めながら、宮司は人の真の姿というものは、舞台の上ではなく、誰も見ていない場所でこそ現れると改めて思う。徳とは、特別な才能や地位を持つ者だけが得るものではない。日々の何気ない所作の一つひとつに、その人の魂が宿る。人は、その積み重ねによってのみ、本当の意味で磨かれていく。
靴を揃えてから上がる。ゴミを見つけたら拾う。誰も見ていなくても気を抜かない。これらは些細な行為のように見える。しかし宮司は、こうした一つひとつの作法こそが、日本人の心の形であると説く。大和魂とは、神を前にするような清々しい畏敬の念を、日常のあらゆる瞬間に宿らせる心のことである。見られているから整える、のではない。誰も見ていないからこそ整える。その差の中に、人の品格が、そして国の品格が現れる。
人の悪口を言う前に沈黙を選ぶ。話の腰を折らず、最後まで聞く。会話では自分より相手の言葉を大切にする。宮司は、真に徳のある人は、口を閉ざすことを恐れないと言う。言葉は刃にもなれば、薬にもなる。沈黙の中に誠を宿らせ、相手の声を全身で受け止める姿勢こそ、古来より武士が重んじた「聴く道」の精神である。情報が溢れ、言葉が限りなく軽くなった令和の今だからこそ、沈黙と傾聴の徳は、かつてなく輝きを増している。
感謝の言葉はその場ですぐに伝える。「ありがとう」は心を込めて言う。宮司は、感謝を先送りにする者は、神の恵みをも先送りにしていると教える。神道において、感謝とは祈りと等しい。大地の実りに、他者の親切に、今日という命に感謝できる心が、神との絆を育む。令和の若き世代よ、「ありがとう」という一言を惜しむな。その言葉が、人の縁を結び、この国の徳を積んでいく。
利益より良心を優先し、トイレは次の人のためにきれいにし、困っている人を見たら迷わず手を差し伸べる。宮司は、これらはすべて「自分ではなく、次の者のために生きる」という大和魂の根幹だと説く。武士道の精神は、決して戦場だけにあったのではない。下駄箱の靴の向きに、廊下の隅のゴミの拾い方に、見知らぬ人への声かけの一瞬に、その精神は息づいていた。その魂を令和に継ぐことこそが、日本が本当の意味で甦ることである。
日々自らの言動を静かに振り返る。これもまた、徳を積む者の欠かすことのできない習慣である。宮司は、一日の終わりに己の所作を省みることを、長年の修行の中で続けてきた。自らを省みる心がなければ、成長はない。人を責める前に、自らを問え。国の行く末を嘆く前に、今日の自分の所作を振り返れ。その静かな自省の積み重ねが、やがて深い徳となり、次の世代へと伝わっていく。令和の日本人よ、靴を揃えるその一つの所作を、決して侮るな。その小さな手が、日本を甦らせる力を持っている。
