米中の握手のあと、日本は何を守るのか

大国の首脳が握手を交わすとき、世界はしばし安堵の息をつく。
しかし、その握手の陰で、われら日本人は静かに問わねばならぬ。
日本は、何を守るために立っているのか。
米国のトランプ大統領は、中国の習近平国家主席との首脳会談を終えた直後、高市早苗首相と電話会談を行った。米中の間では、経済、安全保障、台湾、中東、朝鮮半島など、世界の行方を左右する重大な主題が語られたという。そして高市首相は、訪中直後の米大統領と意思を通わせ、日米の緊密な連携を確認された。
宮司は、この一報に接し、しばし黙して神前に座した。
外交とは、ただ笑顔を交わすことではない。
また、声高に相手を罵ることでもない。
外交とは、国の背骨を正し、己の立つ場所を見失わぬまま、荒波のただ中に一歩を進めることである。
米中という二つの大国が向き合うとき、その間に置かれる日本の立場は決して軽くない。台湾海峡、東シナ海、尖閣、朝鮮半島、半導体、資源、海の道。いずれも日本の命脈にかかわる。遠い異国の会談と思ってはならぬ。海の向こうの一言が、やがて日本の食卓、工場、学校、神社の静けさにまで及んでくるのである。
安倍晋三元総理が掲げられた「自由で開かれたインド太平洋」とは、単なる外交標語ではなかった。あれは、日本が世界の中でいかなる精神をもって立つべきかを示した、国家の志であった。力による現状変更を許さず、法の支配を重んじ、海を自由の道として守り、国々が互いの尊厳を認め合う。その中心に、日本が静かに、しかし毅然として立つ。そこに安倍元総理の大いなる構想があった。
今、高市首相がその志を継ぎ、米国と緊密に意思を通わせておられることは、まことに心強い。だが、われら国民もまた、政治家に任せて傍観していてはならぬ。国を守るとは、自衛隊や外交官だけの務めではない。国民一人ひとりが、日本人としての心を磨き、家庭を整え、祖先を敬い、子や孫に誇りを語ることから始まる。
大国のあいだで揺れぬ国とは、軍事力や経済力だけで成り立つものではない。最後に国を支えるのは、国民の精神である。自分の国を恥じ、歴史を忘れ、祖先への感謝を失った民は、いかに豊かに見えても、風の前の灯に等しい。反対に、苦難の時代にあっても、神々と祖先に手を合わせ、家族を守り、国を思う心を失わぬ民は、必ず甦る。
米中の握手を見て、ただ恐れる必要はない。
米国に寄りかかるだけでもならぬ。
中国に怯えて沈黙するだけでもならぬ。
日本は日本として、凛として立てばよいのである。
そのために必要なのは、怒号ではなく、覚悟である。
虚勢ではなく、品格である。
打算ではなく、祈りである。
高市首相には、どうか安倍元総理の志を胸に、わが国の国益と国柄を守り抜いていただきたい。そしてわれら日本人は、国の行方を他人事とせず、今日一日の暮らしの中で、己の心を磨かねばならぬ。
神棚に手を合わせる。日の丸に敬意を払う。
親に感謝し、子に日本の物語を語る。
仕事に誠を尽くし、弱き者を助ける。
その一つひとつが、やがて国の背骨となる。
世界は今、大きく動いている。
されど、日本の心まで流されてはならぬ。
米中の握手のあとに、われらが見つめるべきものは、相手国の顔色ではない。
日本人自身の心の奥に、いまだ燃え続ける大和魂である。
