令和4年7月8日、午前11時28分。奈良市の近畿日本鉄道大和西大寺駅北口、交差点のゼブラゾーンに設けられた小さな台の上に、安倍晋三元総理は立っていた。参議院議員選挙、応援に駆けつけたのは佐藤啓候補のためであった。
元総理は、佐藤氏がコロナ禍の地元でどのような判断をしてきたかを、丁寧に語っていた。「大変だ、緊急事態宣言の対象になっているが、店の売り上げが落ちてやっていけるかどうかわからない」。そうした地域の声を耳にし、支援の対象を広げていった。その姿勢を、元総理はわざわざ言葉を選んで紹介していたのである。
そして11時31分、元総理はこう続けた。「彼は、できない理由を考えるのではなく」。
そこで、言葉は途切れた。2発の銃声が響き、安倍晋三元総理は、この世を去った。享年六十七であった。
宮司は、この一句に接するたび、深く考えさせられる。
これは、佐藤啓という一人の政治家の姿勢を評した言葉であった。だが同時に、安倍晋三という政治家自身の生涯を、これ以上ないほど正確に言い当てた言葉でもある。第一次内閣を志半ばで退いた後、5年の雌伏を経て、再び総理の任に就いた。憲法改正、拉致問題の解決、日米同盟の再構築、デフレからの脱却。いずれも、長く「できない」「無理だ」と語られ続けてきた課題であった。
もちろん、その一つとして、道半ばに終わったものもある。憲法改正は成らず、拉致被害者の帰国も実現しなかった。政策の是非をめぐる評価も、決して一様ではない。宮司は、それらをすべて成功であったと言い張るつもりはない。
しかし、できない理由を数えて立ち止まるのではなく、できる道を探し続けたという、その一点においては、賛否を超えて認められるべき生き方ではないだろうか。
宮司は思う。人は誰しも、最後に語った言葉によって記憶される定めにあるわけではない。しかし、この元総理に限っては、途切れた一句こそが、その生涯を貫いた志を、図らずも凝縮して見せたのではないか。
「できない理由を考えるのではなく」とは、単なる前向きさの奨励ではない。そこには、自らの責任から目を背けまいとする、静かな厳しさがある。できない理由を並べることは、多くの場合、易しい。誰かのせいにできる。時代のせいにできる。制度のせいにできる。そうして、自分は動かずに済む。それは、誰の心にもある弱さだ。宮司とて例外ではない。
しかし元総理が生涯かけて示したのは、その逆であった。憲法も、外交も、経済も、動かぬ壁のように見えて、実は人が動けば変わるものである。壁の前で立ち止まるか、壁に手をかけるか。その選択こそが、政治家としての、そして一人の人間としての値打ちを決めるのである。
今、令和の日本に生きる若者たちは、どうであろうか。
少子高齢化、経済の停滞、周辺国からの圧力。数え上げれば、できない理由はいくらでも見つかる時代である。就職も、結婚も、子を育てることも、「今は無理だ」という声に囲まれて生きている若者は少なくない。宮司のもとにも、将来を悲観する声が、折にふれて届く。
宮司は、ここに大きな示唆を見る。時代が厳しいことと、動かないことは、別の問題である。むしろ、厳しい時代であればこそ、できない理由を数えるだけの生き方から、一歩を踏み出してみたい。
新卒で社会に出る若者は、先の見えない業界へ飛び込むことをためらう。家業を継ぐべきかどうか迷う若者は、時代に合わないという理由で継承を諦める。子を持つことをためらう夫婦は、経済的な不安を理由に、その決断を先送りする。いずれも、理由のない迷いではない。もっともな事情が、そこにはある。
だからこそ宮司は、安易に「頑張れ」とだけ言うつもりはない。迷うこと自体は、恥ずべきことではない。問題は、その先である。迷った末に、できない理由だけを積み上げて立ち止まるのか。それとも、迷いながらも、できる一点を探し、そこから動き出すのか。安倍晋三元総理が生涯を通じて示したのは、後者の生き方であった。
いま迷っている方へ。迷うのは、真剣に生きている証です。
具体的な政策論を、ここで語るつもりはない。宮司が若い世代に伝えたいのは、もっと手前にある、生き方の姿勢である。
目の前の仕事を、できない理由から始めない。人間関係を、うまくいかない理由から始めない。国の将来を、諦める理由から始めない。まず、できることを探す。小さな工夫を重ねる。声を聞く。動く。それだけのことである。それだけのことが、実は最も難しく、最も尊い。
安倍晋三元総理は、地方の一人の候補者の、そうした小さな判断を、わざわざ言葉にして紹介していた。大きな国家観を語ると同時に、一人の若い政治家の、地道な仕事ぶりを丁寧にすくい上げる。そこにも、元総理の志の在り方が表れている。
宮司自身、令和4年の凶弾以来、長野県下伊那郡阿南町の地に、氏子一人ない更地から、元総理を祀る神社を興してきた。土地もなく、社殿もなく、あるのは全国から寄せられた崇敬者の方々の浄財と祈りだけであった。「前例がない」「氏子のいない土地に神社は成り立たない」。そう言われても不思議のない話であった。それでも、できない理由を数えれば切りがない歩みを、一歩ずつ積み重ね、令和8年6月、ようやく銅像の除幕式を迎えることができた。この経験を通して、宮司は、あの一句の重みを、以前にも増して深く噛みしめるようになった。
神道には、中今という考え方がある。過去でも未来でもなく、今この瞬間を、祖先から預かり、子孫へ手渡す責任の場として生きるという教えである。祈りとは、ただ手を合わせ、頭を垂れることだけを指すのではない。目の前の一歩を、逃げずに踏み出すこと自体が、すでに祈りの実践なのである。
宮司は、あの朝途切れた一句を、若者への遺言として読み直したいと願う。「彼は、できない理由を考えるのではなく」。この続きを、令和の日本人一人ひとりが、自分自身の生き方で埋めていくこと。それこそが、元総理の遺した志を受け継ぐということではないだろうか。
進学であれ、就職であれ、結婚であれ、家業であれ、地域の祭りであれ。どの場面でも、できない理由は、探せば必ず見つかる。だからこそ、それを数えることをやめ、できる一点を見つけて動き出す。その小さな一歩の積み重ねが、いずれ大きな流れを生む。
今こそ、できることを探してみよう。小さくてもいい、一歩を踏み出してみよう。それが、あの朝、途切れた言葉に応える道なのだと、宮司は思う。
宮司は神前に額づくたびに、安倍晋三元総理の御霊の安らかならんことを祈る。そして、その遺された志が、次の世代へ確かに手渡されていくことを、心から願うものである。
迷いながらも一歩を踏み出そうとする皆さんの背中を、神様はきっと見守っていてくださいます。宮司も、心からお祈りしております。