宮司は、神職になる以前、大阪府警察の特殊部隊で、隊員たちを鍛える訓練指導官として、幾多の凶悪事件の現場を支えていた。中でも、大阪・三菱銀行北畠支店で起きたあの人質事件は、宮司が鍛え上げた部隊が挑んだ、三日間にわたる、命がけの攻防であった。令和の世を生きる若者たちに、その昭和の記憶を語り伝えたい。
犯人はライフル銃と散弾銃を手に、銀行の店内に立てこもった。多くの行員が人質に取られ、外に出れば発砲するという、凶悪な事件であった。機動隊の訓練指導官であった宮司は、突入を担う若い隊員たちに、鉄帽・防弾チョッキ・大盾の扱いから、梅川と名乗るその犯人への対処まで、幾度となく叩き込んでいた。
銃口の前に立ち、犯人と対峙したのは、宮司が指導した隊員たちである。
事件は、三日に及んだ。世論は「早く決着をつけよ」と、犯人への怒りを募らせた。テレビの前では、多くの国民が固唾をのんで、続報を待っていた。世間は、結果だけを見て語る。「ああすればよかった、こうすればよかった」とは、誰にでも言える言葉である。しかし、現場に立つ者の重みは、それとは全く違う。
拙速に動けば、人質の命が危うい。銀行の二階では、宮司の指導のもと、隊員たちが突入の訓練を、幾度となく繰り返した。階段の一段一段、部屋の配置、犯人の動線、あらゆる場合を想定し、体に叩き込んだ。教え子たちを、一人たりとも損なわぬために。眠らぬ夜が、いくつも続いた。
銀行の外には、人質となった行員たちの家族が、幾日も詰めかけていた。夫の無事を祈る妻、父の帰りを待つ子供たちの姿は、今も忘れられない。その一人ひとりの祈るような眼差しこそが、現場に立つ隊員たちを、静かに支えていたのである。
日本の警察は、外国のように間髪をいれず発砲することはしない。犯人にも人権があるという声もまた、この国の世論である。行き過ぎた強硬突入をすれば、翌日には「警察の人殺し」と、世間から責められる。そうした葛藤の中で、なお忍耐強く機を待つ。それが、日本の警察官の宿命であった。
やがて明け方、犯人が疲れ、微睡んだ刹那を、隊は逃さなかった。各階段から同時に突入したのは、宮司が幾晩も指導を重ねてきた、若き隊員たちである。拳銃により犯人を制圧し、人質は無事に救い出された。
部下の隊員たちが果たしたその働きを、宮司は誇らしく、そして安堵の思いで見届けた。手柄を誇る言葉は、隊員たちの誰からも、ついぞ聞かれなかった。
宮司は思う。昭和の警官魂とは、単なる腕力や度胸のことではない。己の恐れを飲み込み、名も誇りも求めず、ただ命を懸けて他者を守るという、静かな覚悟のことである。
正直に言えば、部下である隊員たちを送り出す間、恐ろしくなかったと言えば嘘になる。銃口の前に立つのは、隊員たちである。宮司にできるのは、幾度となく体に叩き込んだ訓練を信じ、見守ることだけであった。
それでも隊員たちが踏みとどまれたのは、背後に守るべき人質がいたからであり、共に任務にあたる仲間がいたからである。恐れを知らぬ者ではなく、恐れながらも踏みとどまる者こそが、真に強い人間なのだと、宮司は部下たちの姿から、この時学んだのである。
忘れられぬ言葉がある。「弱きを助け、強きをくじく」。「艱難辛苦よ、吾に来い」。若き日、現場でくり返し部下たちに伝え、共に胸に刻んだこのモットーは、宮司職となった今も、少しも変わらず胸の内に生きている。
この事件の後、初動の体制や装備のあり方について、警察内部でも多くの議論が交わされたと聞く。結果だけを見て「ああすればよかった」と裁くのはたやすい。しかし、現場に立った者、そして現場に送り出した者にしかわからぬ重みがあることを、宮司は今も心に留めている。
殉職した警察官たちのことも、片時も忘れたことはない。踏切に飛び込み、自殺を図った女性を救おうとして散った、ある警部の御霊にも、かつて一首を捧げた。度胸一つで命がけ、国民のためなら命も惜しまぬ。そうした人々が、この国には数えきれぬほどいたのである。
令和の今、そうした覚悟が、どこかへ置き忘れられてはいないだろうか。誰かと競うことにも、誰かを守ることにも、疲れてしまった若者が増えていると聞く。就職も、結婚も、人間関係も、はじめから諦めてしまう若者がいるとも聞く。けれども宮司は、そうした若者たちを責める気にはなれない。それほどまでに、今の世は若い人の心を疲れさせているのだと思う。
もし今、何もかも諦めかけている方がいたら。あなたは、決して弱いのではありません。
だが、失われたのではないと、宮司は信じている。この国の若者の血の中にも、あの三日間、銀行の二階で息をひそめていた若き隊員たちと同じ炎が、今なお脈々と流れているはずなのだ。臆病でよい。恐れてよい。それでも、いざという時に一歩を踏み出せるかどうかが、人の値打ちを分けるのである。
大きな事件でなくてよい。職場で、困っている後輩に、そっと手を差し伸べる。約束を守る。弱い者をかばう。自分の損得より、誰かのために動く。その一つひとつの小さな覚悟の積み重ねこそが、昭和の魂を令和に受け継ぐということである。
宮司は今、八十路半ばを超えてなお、二千日回峰行を続けている。毎朝二時半に起き、山を15キロ歩く。あの現場で教え子たちの帰りを待っていた頃と同じ、静かな覚悟をもって、毎朝また一歩を踏み出す。老いてなお挑む姿こそが、何よりの言葉だと信じている。
令和を生きる若い皆さん。あなたの中にも、確かにあの炎は宿っている。今こそ、その炎に、そっと息を吹きかける時ではないだろうか。宮司は、神前に立つたびに祈っている。昭和の熱き魂が、令和の若者たちへと、確かに受け渡されてゆくことを。
皆さんの中の小さな炎が、いつか誰かを守る灯となりますように。宮司も、心からお祈りしております。