メディアの印象操作を打ち砕いた片山財務大臣の正論

飲食料品の消費税率を1%に引き下げる方針が示されると、一部のメディアは政策の意義よりも、財源への不安を前面に押し出し始めた。減税によって国民の暮らしがどれほど軽くなるのかを伝えるより、「本当に財源はあるのか」「市場や米国は懸念しているのではないか」と不安を煽る。宮司は、このような報道のあり方に強い疑問を抱く。
片山さつき財務大臣は、消費税減税の財源について、赤字国債に安易に頼るのではなく、歳出と歳入を抜本的に見直し、市場の信認を守りながら確保する考えを明確に示した。高市総理も、財政の持続性と市場の信認を確保しつつ、社会保障に影響が出ないよう対応する方針を述べている。減税だけを叫び、後のことを考えない政策ではない。国民生活を支えながら、財政運営にも責任を持つ決断である。
メディアは、減税となると必ず「財源」という言葉を持ち出す。しかし宮司は問いたい。増税によって国民の財布から金を取り上げるとき、家計の財源を心配したことがあるのか。食料品の価格が上がり、電気代やガス代も家計を圧迫する中で、国民は毎日の暮らしを切り詰めている。国の財源だけを心配し、国民の生活資金には目を向けない。これでは政治も報道も本末転倒だ。
国の予算は、最初からすべてが動かせないものではない。補助金や既存事業を精査し、不要不急の支出を削り、税外収入や特別会計を適切に活用する余地がある。外為特会では、令和7年度の剰余金見込み4.5兆円のうち、3.1兆円を一般会計へ繰り入れ、その中には防衛財源としての活用も含まれている。これまでにも国民の重要な資産を守りながら、剰余金を政策財源として活用してきた実績があるのだ。
もちろん、外為特会の金を無制限に使えばよいという話ではない。必要な留保を確保し、為替政策に支障が出ない範囲を慎重に見極めなければならない。しかし、活用の余地があるにもかかわらず、最初から「財源がない」と決めつけ、減税を封じるのは正しい議論ではない。
政治とは、できない理由を並べる仕事ではない。国民のために、どうすれば実現できるかを考える仕事だ。
宮司は、片山財務大臣の回答に、政治家としての覚悟を感じる。数字を挙げ、過去の実績を示し、赤字国債に頼らない道を説明する。感情的に記者を非難するのではなく、事実によって問い返す。これこそ、印象ではなく道理に立つ者の強さである。
さらに、一部の記者は、米国が日本の経済政策を懸念しているかのような問いを投げかける。しかし片山大臣は、ベッセント米財務長官とは緊密に協議を重ね、日米間で金融市場や経済政策について連携していることを説明してきた。少なくとも、日米協議において日本の財政政策が問題視された事実はなく、双方が互いの経済運営を評価するやり取りもあったとされる。
それにもかかわらず、「米国が懸念しているのではないか」と印象だけを先に置く。問いの形を取りながら、初めから不安を植え付けようとする。宮司には、そのように見えてならない。
報道には、権力を監視する大切な役割がある。厳しい質問も必要だ。しかし、政策の問題点を検証することと、不安を煽って結論へ誘導することは違う。反対するための質問ではなく、国民が正しく判断するための質問でなければならない。
消費税減税には、制度変更に伴う事業者の負担や、外食との税率差、社会保障財源との関係など、詰めるべき課題がある。片山大臣自身も、過去の議論を踏まえ、利点と問題点をすべてテーブルに載せた上で決断すべきだと説明している。課題を隠しているのではない。課題を認めながら、それでも前へ進む道を探しているのだ。
宮司は思う。政治に必要なのは、失敗を恐れて何もしないことではない。問題があるなら解決し、障害があるなら乗り越える。そのために政治家がいる。
食料品は、国民が生きるために欠かせない。裕福な者も、生活に苦しむ者も、毎日購入する。そこにかかる税を軽くすることは、広く国民生活を支える政策だ。特に、所得に占める食費の割合が大きい家庭にとって、その意味は小さくない。
減税を語ると無責任だと言い、増税を語ると責任ある政治だと持ち上げる。長く続いてきた、この奇妙な空気を変えなければならない。
国民から税を取ることだけが責任ではない。国民に返すことも責任だ。無駄を削り、経済を成長させ、負担を軽くすることもまた政治の責任である。
強引な印象操作によって世論を動かせる時代は、終わりつつある。国民は、報道された言葉をそのまま受け入れるのではなく、会見全体を見て、数字を確かめ、政策の中身を判断するようになった。
宮司は、これを健全な変化だと思う。
声の大きさではなく、根拠を見ることだ。肩書ではなく、語られた内容を見ることだ。不安を煽る言葉ではなく、数字と事実を見ることだ。
片山財務大臣の回答は、消費税減税が無責任な思いつきではなく、歳出・歳入の見直しと市場の信認を両立させながら進める政策であることを示した。
メディアの印象ではなく、事実によって判断する。
それこそが、国民が政治を正しく見極めるために必要な眼なのである。
