秋晴れの空の下、運動会の歓声が各地の校庭に響く頃、令和8年のスポーツの日を迎える。かつて体育の日と呼ばれたこの祝日は、昭和39年の東京オリンピック開会式が行われた10月10日を記念して定められた。だが平成12年、ハッピーマンデー制度の導入により、この記念すべき固定の日付は失われ、10月の第二月曜日という浮動の日へと姿を変えた。そして令和2年、名称もまた体育の日からスポーツの日へと改められている。
宮司は、この一連の移り変わりに、どこか寂しさを覚えている。日本の国民の祝日には、本来、それぞれに深い謂れが込められていた。建国を偲ぶ日、勤労と収穫に感謝する日、皇室の弥栄を祈る日。いずれも、単なる休みではなく、国民が心を一つにして何かを胸に刻むための日であったはずである。しかし今、多くの祝日は、その由来を意識されぬまま、ただ休む日として消費されてはいないだろうか。日付が固定の記念日から浮動の月曜日へと移されたことも、名称が体育という重みのある言葉から、より軽やかなスポーツという言葉へと変わったことも、宮司には、この風潮を象徴する出来事のように映る。
もっとも、宮司はここで、ただ嘆いてばかりいるつもりはない。かたちや呼び名がどのように移ろおうとも、この日に本来込められていた理念そのものまで、消えてしまうのは、あまりに惜しい。むしろ、名称が軽くなってしまった今だからこそ、その内実を、皆さんと一緒に今一度見つめ直してみたいと思う。幸いにも、現在の祝日の趣旨には、それに加えて、他者を尊重する精神を培うという一文が新たに刻まれている。体を鍛えるだけでは足りない。勝敗を分け合う相手への敬意があってはじめて、スポーツは真に価値あるものとなる。この一文にこそ、宮司は救いを見る。
日本の武道は、古くからこの精神を体現してきた。柔道の創始者、嘉納治五郎は、柔道の根本理念として「精力善用」と「自他共栄」の二つを掲げた。自らの力を最も効率よく用いること、そしてその力を、自分一人の勝利のためだけでなく、他者との共存共栄のために用いること。勝つことそのものよりも、勝ち方、そして負け方にこそ、人の値打ちがあらわれるという教えである。
柔道には「礼に始まり礼に終わる」という言葉がある。試合の前後に相手へ礼を尽くすこの所作は、単なる形式ではない。目の前の相手がいなければ、自らの技を磨く機会は生まれなかった。勝った相手にも、負けた相手にも、ありがとうと言える理由がある。この理を、幼い頃から体に染み込ませる稽古こそが、武道の真髄なのである。
新渡戸稲造は『武士道』のなかで、武士に求められた徳目の一つとして「惻隠の情」を挙げている。強き者が弱き者へ向ける憐れみ、勝者が敗者へ向ける思いやりである。真の武人は、倒れた相手にとどめを刺すことを潔しとせず、むしろ手を差し伸べた。力において勝ることと、心において勝ることとは、まったく別の次元にある。勝敗を超えて他者を尊ぶ心とは、まさにこの惻隠の情に通じるものであると、宮司は思う。
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惻隠、義、礼、名誉。武道の心を支える徳目を深く知るには、新渡戸稲造の『武士道』を自分の言葉で読み直すことが一つの入口となる。勝敗を超えて人を敬う精神を、日々の生き方へ引き寄せて考えたい。
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しかし宮司は思う。勝敗そのものを軽んじているわけではない。全力を尽くして勝利を目指すこと、そのために厳しい鍛錬を積むことは、尊いことである。もちろん、真剣勝負を否定するものではない。むしろ、真剣に戦ったからこそ、相手への敬意も深いものとなる。手を抜いた勝負からは、真の礼も真の感謝も生まれない。
古い武家の教えに、「勝って兜の緒を締めよ」という言葉がある。
勝利を収めた瞬間にこそ、気を緩めてはならぬという戒めである。
この言葉の値打ちは、単に油断を戒めるだけにとどまらない。勝った者が兜の緒を締め直すのは、次なる敵への備えであると同時に、勝利に驕らぬための心構えでもある。驕りは、知らぬうちに相手を軽んじる心を生んでしまう。勝った喜びが大きいときほど、人は敗れた者の痛みを見失いやすいものだ。
現代のスポーツの現場では、時に勝利至上主義が行き過ぎ、相手への侮辱や、審判への暴言、過度な自己顕示が見られることがある。宮司は、そうした光景に出会うたびに、胸が痛む。きっと誰もが、勝ちたい一心で、ふと我を忘れてしまうのだろう。力を尽くすことと、他者を貶めることとは、まったく別のものである。真に強い者ほど、敗者への配慮を忘れないものである。
子供たちの運動会もまた、同じ理を学ぶ絶好の場である。徒競走で一位を目指して全力で走ること、そして走り終えた後に、共に走った友を称え合うこと。勝った喜びも、負けた悔しさも、次への糧とすること。そうした一つひとつの経験の積み重ねが、勝敗を超えて他者を敬う心を育てていく。
負けて悔し涙を流したお子さんがいたら、どうか、その涙ごと抱きしめてあげてください。
また、スポーツを支えるのは、競技する者だけではない。競技場を整える人、審判を務める人、応援に駆けつける家族。そうした名もなき支えがあってはじめて、一つの競技が成り立つ。勝敗に目を奪われそうなときこそ、こうした支えへの感謝を、そっと心に留めておきたい。
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宮司もまた、体を動かす喜びとともに、他者への敬意を新たにしたいと思う。力を尽くして戦うことと、相手を敬うこととは、決して矛盾しない。むしろ、互いに全力を尽くし合うからこそ、そこに深い敬意が生まれるのである。
勝敗を超えて他者を尊ぶ心は、家庭から、学校から、地域から、静かに育ってゆく。それこそが、健やかで品格ある社会を築く、確かな土台となるのではないだろうか。
勝った人も、負けた人も、支えた人も。皆さまが、力を尽くしたご自分を、どうか誇りに思えますように。宮司も、心からお祈りしております。