大和魂は、海を越ゆる。キャンベラ奈良平和公園に建つ、安倍元総理の慰霊碑に思う

一輪の花を石の前に手向ける ── この所作の中には、人の世の祈りの最も純粋な形が宿っている。距離の遠さも、年月の長さも、それを問うことはない。海を隔てても、世代を重ねても、その一輪の重みは変わらず、むしろ隔たりが大きいほどに、静かに重い。
宮司は、地球の裏側で行われた一つの献花の報せを受けて、しばし目を閉じた。
令和4年12月、オーストラリア連邦首都キャンベラ。バーリー・グリフィン湖畔の「キャンベラ奈良平和公園」と名付けられし杜の一角に建てられた、故安倍晋三元内閣総理大臣の慰霊碑。その前にて、訪豪中の高市早苗総理大臣と、アンソニー・アルバニージー豪首相の両首脳が、揃って花を手向けた。慰霊碑には「オーストラリアの良き友人、安倍晋三日本国首相の功績をここに称える」と刻まれてある。地元の音楽家が安倍元総理を悼むために作曲した曲が、尺八と提琴によって奏でられたという。両首脳は献花に先立ち、日豪友好協力基本条約署名五十周年を記念して、公園内にクロマツ一本を植樹したと伝えられる。
なぜ「キャンベラ奈良平和公園」と称するのか。なぜ南半球の首都の一角に、奈良の名を冠する杜が存するのか。話は半世紀前に遡る。昭和51年、三木武夫総理がキャンベラの地にて署名せし「日豪友好協力基本条約」── これを外務省は通称「NARA条約」と呼ぶ。Nippon-Australia Relations Agreement の頭文字に、奈良の名が偶然にも符合する。そして平成五年、奈良市とキャンベラは姉妹都市の盟を結び、湖畔のレノックス・ガーデンの一角に、日本式の杜が整えられた。和風の灯籠、桜の木、楓の木。その同じ杜の中に、令和四年十二月、奈良市民の浄財をもとに、ある一基の慰霊碑が建立された。それが、本日両首脳の献花を受けた、安倍元総理の慰霊碑である。
しかしながら、この長き縁の真の起点は、姉妹都市の協定でもなく、条約の調印でもない。一人のカトリック神父の地道なる祈りであった。奈良市登美ヶ丘カトリック教会の故トニ・グリン神父。神父は、第二次世界大戦中、オーストラリア・カウラの地にて命を落とした日本人捕虜たちの墓地を、長年にわたり清掃し、祈りを捧げ続けた。昭和十九年八月、カウラ捕虜収容所において、千百名を超える日本人捕虜が集団脱走を企て、二百三十有余名が斃れた、いわゆる「カウラ事件」の戦没者である。彼らの墓地は、戦後長らく、敵地の片隅にあって人知れず雑草に覆われていた。それを、神父は黙々と清めた。敵味方の隔てを超えて、祈りを供えた。一個の宗教者の声なき業こそが、日豪両国の心の橋を架ける起点となったのである。
慰霊とは、外交にあらず。
慰霊こそが、真の外交を生むのである。
ここで宮司は、思いを奈良の地に転じる。奈良市川上町の三笠霊苑、世界遺産・春日原始林の麓には、もう一つの石碑が静かに建っている。安倍晋三元総理の「留魂碑」である。安倍先生が深く敬愛されし吉田松陰の遺著『留魂録』に因んで、かく命名された。その『留魂録』の冒頭、刑死を覚悟された松陰先生が江戸の獄中にて詠まれし一首がある。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
魂は、肉体を離れて、なお留まる。場所を選ばず、海を選ばず、時を選ばず、ただ志ある所に留まり続ける。松陰先生がこの歌を詠まれてより百七十年、いまその大和魂は、武蔵の野辺を遥かに越え、南半球の杜にもまた留め置かれることとなった。奈良の地で凶弾に斃れし宰相の御霊が、奈良の名を冠する地球の裏側の杜にて、半世紀の友邦の宰相と現職総理大臣に弔われている ── この事実の重みを、宮司は静かに受け止めたい。
両首脳が植樹せしクロマツ一本。クロマツは古来、神域の御樹であり、武士の節操の象徴であり、万葉の歌人が詠みし常磐木である。半世紀前、日豪は「NARA」の名の条約を結んだ。本日、その五十周年に、宰相の御霊への献花とともに、一本の松が植えられた。次の半世紀、この松は南半球の風に揺れながら太く大きく育ち、安倍元総理の慰霊碑とともに、日本人と豪州人の心に「真の友愛とは何か」を語り続けるであろう。慰霊の業は外交を生み、慰霊の業は世代を貫き、慰霊の業は国柄を支える。一輪の花の重み、一本の松の細き枝、そのすべてに、日本という国の本質が立ち現れている。
