至誠は海を越える。台湾・政治大「安倍政経塾」開講に思う、日台百年の絆

海はひとつである。日本列島と台湾とを隔てているように見えて、太古より黒潮は二つの島々を結びつけ、ひとつの水の流れとして人と物と思想を運び続けてきた。台湾の有名大学である政治大学において4月25日、安倍晋三研究センターが「安倍政経塾」を開講したという報せに、宮司は静かな感慨を覚えた。第一期生は60名を超える応募者の中から厳選された32名。台湾の若き政治家、企業経営者たちが、海を越えて、一人の日本人元総理の思想と哲学を学び始めたのである。一国の指導者の精神が、その国を出て、なお異国の若き志士たちの胸に灯を点す。これほど誇るべき精神の越境があろうか。

政治大学の安倍晋三研究センターは、昨年9月に設立された機関である。安倍元総理の戦略研究、人材育成、そして日台協力のためのプラットホームとして産声をあげ、わずか半年余りで「安倍政経塾」という形に結実した。同センター主任の李世暉教授は開塾式で、こう述べたという。「安倍元総理が重視した『至誠』の精神で、国家や人民、日台関係に貢献できる人材を育成したい」と。対中政策を主管する大陸委員会の邱垂正主任委員もまた「安倍氏は戦略的な先見性のある政治家だった」と語ったと伝わる。日本の政治家のうち、果たして何人が、これほどまでに諸外国の若き有為の士から学びの対象とされるであろうか。我々日本人は、もう一度、安倍晋三という政治家の遺された大きさを、海の向こうから照らし返されているのである。

李教授の口から発せられた「至誠」という言葉に、宮司は深く頷いた。至誠とは『孟子』離婁の篇に源を持つ古き徳目である。「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」。すなわち、まごころを尽くして人を動かさなかった者は、いまだかつて存在しない、という意である。この一句を生涯の座右の銘として刻みつけたのが、長州萩の吉田松陰先生であった。松陰先生は29歳で刑場の露と消えるまで、ただ「至誠」の二文字を磨き続けた人である。獄中にあってもなお弟子に書を読ませ、藁敷きの上で講義を続けた。松下村塾という小さな塾屋の中で語り継がれた言葉が、やがて明治維新の原動力となり、日本という国の骨格を造ったことを、我々は決して忘れてはならない。

そして安倍晋三元総理もまた、長州萩を魂の故郷とする政治家であった。少年期より松陰先生を心の師と仰ぎ、その「至誠」の精神を、政治家としての歩みの中に貫き通された。総理として外交の舞台に立たれた折々、宮司は安倍氏の言動の中に、確かに松陰先生の血脈を感じ取ったのである。それは権謀術数の類ではない。まごころを以て相手国に向き合い、相手の立場に立って語り、約束したことを守り抜くという、極めて素朴な、しかし極めて困難な姿勢であった。台湾を真の友として位置づけ、自由で開かれたインド太平洋という構想を世界に提示された、その根底に流れていたのもまた、この至誠の二文字であった。利を以て交わる関係は利が尽きれば終わる。しかし誠を以て結ばれた関係は、その人がこの世を去ってもなお、生き続けるのである。

塾生の一人、国際NGOで活動する利佳儒さん(40歳)は、こう語ったと報じられた。「日本の政治家や企業経営者がどのような哲学と精神に基づいて行動しているのかを学びたい」と。宮司はこの言葉に胸を打たれた。日本人自身が、果たして自国の政治家にこれほどの哲学と精神を期待しているであろうか。海を隔てた台湾の若き有為の士が、日本の指導者たちの行動原理を真摯に学び取ろうとしている。その敬意の眼差しに、我々日本人はどう応えるのか。安倍元総理が遺された「至誠」と「戦略的先見性」は、もはや一人の政治家の遺産ではない。日台両国の未来を担う若き者たちが、共に汲み取るべき思想の清き泉となったのである。

報じられたところによれば、来年春には日本の若手議員らを対象に、東京においても「安倍政経塾」が開講される予定であるという。台湾で芽吹いた灯火が、海を越えて日本に戻ってくる。これほど象徴的な営みがあろうか。安倍晋三という一人の政治家の志が、海の向こうで先に学ばれ、その熱がやがて日本の若き政治家たちに伝えられていく。日本の若き為政者たちよ、台湾の友らに先を越されてはならぬ。我々もまた「至誠」の二文字を胸に深く刻み、先人の遺された志を継ぐべきである。海を越えて伝わる思想の灯は、消えるどころか、風に煽られて、より明るく燃え上がる。それが、安倍晋三という政治家がこの国とこの世界に遺された、最も大きな財産なのであろう。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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