英霊に手を合わせることは、外交問題ではない。靖国神社春季例大祭に思う、日本人の祈り

杜の中に佇む社殿には、独特の静けさがある。都会の喧騒からほんの数十歩、鳥居をくぐっただけで、その先には別の時間が流れている。それは静寂と呼ぶには余りに密度が高く、音もなくしてなお耳に響くような、不思議な厚みを持った静けさである。神社というのは、本来そうした場所である。生者の世界と亡き者の世界が、同じ一つの境内において出会い、語り合うための場所である。4月21日、靖国神社の春季例大祭にあたり、高市早苗内閣総理大臣が「真榊」と呼ばれる供え物を奉納された。それに対し、近隣のある国は「重大な懸念」を表明し、別のある国は「失望と遺憾」を述べたと報じられた。宮司はその報せに接し、深い疲労感のような感慨を覚えた。日本人が自国の英霊に祈りを捧げることが、なぜ毎度こうも国際問題として扱われねばならぬのか、と。

靖国神社が東京九段の地に創建されたのは、明治2年のことである。明治天皇の思し召しにより、明治維新前後の戦乱で国のために命を落とした人々を慰霊し奉るため、東京招魂社として建立された。その後、明治12年に靖国神社と改称され、以来、戊辰戦争、西南戦争、日清・日露戦争、そして大東亜戦争に至るまで、祖国のために命を捧げられた約二百四十六万六千余柱の御霊が、ここに合祀されてきた。明治天皇は靖国神社に行幸された折、こう御製を詠まれている。「我國のためをつくせる人々の名もむさし野にとむる玉がき」と。祖国のために尽くした人々の名を、武蔵野の地に永久に留めるという、深い慈愛と感謝の思いがこめられた一首である。

宮司は、神職として、靖国神社の存在を一日たりとも忘れたことはない。神社という場所は、本来、政治の場ではない。それは亡き人の御霊に手を合わせ、生かされている自分の今日を感謝するための場所である。靖国神社もまた、その本義においては、何ら他の神社と変わるところはない。違いは、ただそこに祀られている御霊が、いずれも祖国のために命を捧げられた方々であるということ、ただその一点のみである。宮司はかつて、ある古老の元軍人から、こんな話を聞いたことがあるという。戦地に赴く前、戦友たちと交わした最後の約束は、ただ一つ、「もし命を落とすことがあれば、靖国で会おう」というものであったと。あの言葉が、どれほど多くの若者たちの心の支えであったか。我々はその重みを、軽々しく踏みにじってはならぬのである。

総理大臣による真榊の奉納は、本来、極めて慎ましやかな行為である。それは公式参拝でもなく、玉串料の奉納でもなく、ただ一基の小さな神具を捧げるという、控えめな祈りの形である。それすらも国際問題として批判の対象となる現状を、宮司は嘆かわしく思っている。一国の指導者が、自国のために命を捧げた人々に対し、感謝の意を表すことは、世界中のいかなる国においても当然の行為である。アメリカ大統領はアーリントン国立墓地に参拝し、フランス大統領は無名戦士の墓に献花し、ロシア大統領は赤の広場で式典に臨む。それを「危険な行為」と呼ぶ国は、世界のどこにも存在しない。なぜ日本だけが、自国の戦没者に祈りを捧げることをためらわねばならぬのか。なぜ日本の指導者だけが、英霊への感謝を表明するのに、言い訳めいた言葉を用意せねばならぬのか。

楠木正成という武将のことを、宮司はしばしば思う。後醍醐天皇のために兵を挙げ、足利尊氏との湊川の戦いに敗れて自刃した、南北朝期の忠臣である。正成は弟の正季と最期の言葉を交わした際、「七生報国」と誓い合ったと伝えられる。七度生まれ変わってもなお、国のために尽くしたい、という意である。この言葉は、後世の日本人にとって、忠義の精神の象徴となった。靖国神社に祀られている英霊たちの多くも、この「七生報国」の精神を胸に抱いて散華されたのである。彼らは死を恐れていなかったわけではない。むしろ生きたかった。しかし国を守るため、家族を守るため、後の世の同胞のために、自らの命を捧げる道を選ばれた。その尊い犠牲を、後の世を生きる我々が「ありがとう」と一言、心から申し上げる。これは、日本人として、人間として、最も自然な営みである。

近隣諸国からの抗議の声があるたびに、日本国内の一部の人々は「外交配慮」を理由に靖国神社を遠ざけようとする。宮司はその姿勢を悲しく思っている。亡き人への祈りは、外交カードではない。それは生者の心の最も深い所から湧き上がる、避けることのできぬ営みである。外圧に屈して祈ることをやめれば、それは亡き英霊に対する二度目の死を強いるに等しい。一度目は戦場で命を落とされ、二度目は祖国の手によって忘却されるという、惨い仕打ちである。靖国神社は、政治の道具ではない。それは日本人の魂が帰ってくる場所であり、生者と死者がいまも語り合う、ひとつの清き杜である。総理が真榊を奉納された、ただそれだけの行いに、外国からの批判を恐れる必要などない。むしろ堂々と、感謝の心を表していただきたい。それが祖国を導く者の、最も基本的な務めだからである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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