千年の和歌が国歌となる国。自衛官が「君が代」を歌う姿に、何の不都合があろうか

人の世の言葉のほとんどは、その日のうちに消えていく。新聞の文字も、画面の文字も、人の口から発せられる無数の言葉も、ほとんどは数時間、数日のうちに忘れ去られていく。しかしごく稀に、千年を超えてなお生き続ける言葉がある。それは、人々の魂に直接触れる言葉である。「君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで」という三十一文字の和歌は、平安時代の初頭、十世紀初頭の『古今和歌集』に「読人しらず」として収められた一首である。それから千百年余の歳月を経て、いまもなお日本国民の国歌として歌い継がれている。これは、世界の国歌の中で、歌詞において最も古い起源を持つものである。先日、自民党大会の儀礼の場において、自衛官たちが堂々と「君が代」を斉唱したことに対し、一部から「不適切ではないか」という声が上がったという。しかし陸上幕僚長は記者会見で明確に、「不適切ではない」と説明された。宮司はその毅然たる答弁に、深く頷いた。
「君が代」の歌詞は、もともと特定の作者の歌ではない。古今和歌集の編者である紀貫之らが、当時すでに広く人々の間で詠われていた長寿を祝う歌を採録したものであるとされる。「君が代」とは「あなたの命」、すなわち目の前にいる愛する者の命を意味し、それが千年も八千代も、小さな砂粒が集まって巨岩となり苔むすまで、永く永く続いてほしいという、極めて素朴で深い祈りの歌である。この歌が後に天皇陛下の御世の永続を祈る歌として読み替えられ、明治十三年に林廣守らによって今日のメロディーが付された。世界中の国歌の中で、これほどまでに静謐で、これほどまでに祈りに満ちた歌は他に類を見ない。フランスのラ・マルセイエーズが革命の血の歌であり、米国のスター・スパングルド・バナーが戦争の歌であるのに対し、君が代はただひたすらに、永続と平安を願う歌なのである。
ところが戦後の日本においては、この最も平和的な国歌が、最も激しい論争の的となってきた。「軍国主義の象徴である」「天皇崇拝の歌である」と批判する声が、教育の現場をはじめ、社会の様々な場面で繰り返されてきた。学校の入学式や卒業式で「君が代」斉唱を拒否する教員がおり、それを「思想信条の自由」として擁護する論調があった。宮司はそうした風潮に接するたび、深い違和感を覚えてきた。歌詞の中に、果たしてどこに軍国主義があるか。どこに侵略性があるか。「あなたの命が永く続きますように」という、これほど慎ましく、これほど人間的な祈りを、何ゆえに拒まねばならぬのか。歌詞と向き合うことなく、ただレッテルを貼って排除する。その姿勢こそが、最も知的に怠惰であり、最も日本の精神文化に対して失礼な態度ではないか。
明治の元勲、山田顕義のことを、宮司は思う。長州藩の出身で、吉田松陰の門下に学び、明治政府で司法卿を務めた人物である。山田顕義は法律と教育を通じて日本の近代化に尽くしただけでなく、日本古来の精神文化の継承にも深い関心を寄せた。日本大学の創立者としても知られるこの人物は、こう語ったと伝えられる。「法律は国の骨格なり、文化は国の血肉なり」と。法律によって国の形を整えるだけでは、国家は生命を持ち得ない。その国の固有の文化、すなわち言葉、歌、祈り、そういった目に見えぬものが血のように身体を巡って、初めて国家は生き物となる。山田顕義は、そう信じていた。「君が代」は、まさに日本という国家の血肉である。これを否定することは、自らの身体から血を抜くに等しい暴挙である。
自衛官たちが党大会の場で「君が代」を堂々と歌った。その姿の何が問題なのか、宮司には依然として理解できない。むしろ問題とすべきは、歌わぬこと、歌えぬことではないか。世界中のいかなる軍人も、自国の国歌を堂々と歌う。それは軍人としての最も基本的な作法である。フランスの兵士はラ・マルセイエーズを歌い、米国の兵士は星条旗よ永遠なれを歌い、英国の兵士は神よ女王を護り給えを歌う。それを誰も「軍国主義」とは呼ばない。なぜ日本の自衛官だけが、わが国歌を歌うことに躊躇いを覚えねばならぬのか。陸上幕僚長が「不適切ではない」と明言されたことは、極めて当然の判断である。むしろ宮司は問いたい。自衛官が国歌を歌うことを「不適切」と感じる人々は、何を不適切と考えているのか。国歌か、自衛官か、それとも国家そのものか。
「君が代は千代に八千代に」という言葉が、千百年の時を超えて令和の今もなお歌い継がれているという事実、それ自体が、ひとつの奇跡である。世界の多くの国々は、革命や政変のたびに国歌を作り変えてきた。しかし日本は、平安朝の和歌をそのまま国歌として持ち続けている世界でも稀有な国である。この奇跡的な連続性の中にこそ、日本という国の深い精神が宿っている。それは断絶ではなく継承の文化、革命ではなく祈りの文化である。自衛官が「君が代」を歌うとき、彼らは武力を誇示しているのではない。彼らは千年の祈りに、自らの声を重ねているのである。それを「不適切」と呼ぶ前に、まず自分自身の口で、一度心を込めて「君が代」を歌ってみよう。歌詞の意味を一文字ずつ味わいながら歌ってみよう。そうすれば、この歌のどこにも、戦も憎しみもないことが、きっと分かるはずである。
