春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛す。佐藤一斎の教えに学ぶ、令和の新出発

春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛す

佐藤一斎『言志四録』

この言葉を初めて読んだとき、宮司は全身に何かが走るような感覚を覚えたと語る。

佐藤一斎は江戸後期の儒学者であり、「言志四録」はその生涯を通じた思索の結晶である。西郷隆盛が座右の書とし、明治の志士たちが愛読した思想の書だ。しかしそこに記された言葉は、幕末という特定の時代に向けられたものではなく、時代を超えて人間の本質に迫るものである。令和8年の今、宮司はこの言葉の重みを改めて噛み締めている。春の温かい風のように、他者に対しては柔らかく、温かく、包み込むように接せよ。秋の厳しい霜のように、自分自身に対しては厳しく、甘えを許さず、律せよ。この二つの相反するような態度を一人の人間が体現すること。これが真の人格の形成であると、一斎は説くのである。

四月は、日本社会にとって特別な季節である。入学・入社・転勤・異動。多くの人が新しい場所で、新しい仲間と、新しい役割を持って出発する季節だ。希望と不安が混在し、心が揺れる時期でもある。宮司は、この四月という節目に、人々が自らの志を改めて問い直すことを願っている。しかし令和の時代の「出発」には、どこか根本的なものが欠けているのではないかと宮司は感じている。技術が進歩し、利便性が増し、選択肢は無限に広がった。にもかかわらず、多くの若者が将来への不安を抱え、自己肯定感を持てずにいる。それはなぜか。宮司はその原因の一つを、志の欠如に見ている。何のために生きるのか、という問いに向き合うことなく、社会の流れに乗ることだけを目標としてきた教育と文化の問題でもある。桜の下で新しいスーツに身を包んでいても、胸の中に「これのために命を使う」という軸がなければ、その出発はどこへも向かわないのだ。

「春風を以て人に接し」。この言葉の実践は、思いのほか難しい。人は傷つくと、心に厚い壁を作る。裏切られると、疑うことを覚える。競争に晒されると、他者を敵として見るようになる。令和の社会は、人と人との繋がりを希薄にする力を至るところに持っている。SNS上での匿名の言葉は鋭利で、批判は情け容赦なく飛び交い、失敗は烈しく糾弾される。そのような環境の中で、春風のような温かさを保つことは、相当の精神的な鍛錬を必要とする。しかし宮司は断言する。春風の温かさを失った社会は、やがて滅びると。人は温かさによって育ち、温かさによって力を発揮するのである。教育においても、組織においても、家庭においても、温かく包み込む関係性こそが、人の可能性を最大に引き出す土壌である。「温かく接する」ことは、「甘やかす」こととは全く異なる。相手の失敗を見て見ぬふりをすることでも、耳障りの良いことだけを言うことでもない。相手を一人の人間として深く尊重し、その成長を心から願う姿勢。それが春風の本質である。

「秋霜を以て自らを粛す」。これもまた、現代において失われつつある精神の在り方である。自分に甘くなることは、実に容易い。忙しいから仕方ない、疲れているから今日は休もう、誰だって同じことをしている。このような言い訳は、心地よく人を堕落させる。宮司は、自らの二千日回峰行の修行を通じて、自分に厳しくあり続けることの意味を骨身で知っている。雨の日も、風の日も、霙の日も、早朝に山を登る。体が重くても、気持ちが乗らなくても、とにかく続ける。その継続の中に、何ものにも代えがたい自己との信頼関係が生まれる。「昨日の自分との約束を守った」という積み重ねが、人の骨格を作るのである。令和8年の若者たちに、宮司は声を大にして言いたい。自分に厳しくすることを恐れるな、と。厳しさは自虐ではない。自分を信頼し、自分の可能性を本気で信じているからこそ、甘えを許さないのである。秋霜は、大地を引き締め、植物に冬を越す強さを与える。人の魂への厳しさもまた、同じ働きをするのだ。

新しい出発の場では、思い通りにならないことが必ず起きる。人間関係の摩擦、思い描いていた仕事との乖離、自分の力不足への直面。こうした逆境を前にしたとき、人の真価が問われる。宮司は、逆境を嘆くことを勧めない。逆境を愛することを勧める。逆境の時は逆境を受け入れ愛し、順境の時は順境を愛す。あるがままを受け入れて生きる。この精神は、単なる諦めではない。現実から逃げるのでも、無理に前向きになるのでもない。今の状況の全てを、自分の成長の糧として丸ごと抱きしめることである。桜の花は、雪の中でも咲こうとする。風が強くても、その花びらを精一杯広げようとする。散るときは、静かに、美しく散る。どのような状況であれ、自分であり続けることをやめない。それが桜の教えであり、日本人が長い歴史の中で学んできた逆境の乗り越え方である。

令和8年の四月。新しい出発の朝、宮司は祈る。この国の若者たちが、春風の温かさと秋霜の厳しさを共に胸に宿して、自らの志をもって歩み出すことを。そして、どのような逆境にあっても、山桜のように凛として美しく在り続けることを。

令和の出発に際して、大和心を携えるために

その一 四月の初めに、自らの「志」を書き記すこと。何のために生き、何を成し遂げるのか。

その二 「春風を以て人に接する」実践として、今日、誰かに対して温かい言葉をかけること。

その三 「秋霜を以て自らを粛す」実践として、今日から一つ、自分への誓いを立て守り続けること。

その四 逆境に遭ったとき、嘆く前に「これが自分の修行だ」と受け入れること。山桜の如く凛として立つこと。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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