火焔の地より、日本よ覚めよ

令和8年3月1日の深夜、世界は新たな炎の時代へと踏み込んだ。イスラエルとアメリカの軍による対イラン攻撃が行われ、中東の空はふたたび硝煙に閉ざされた。その報を受けた日本政府は直ちに国家安全保障会議を召集し、防衛大臣は情報収集の徹底と邦人安全確保への万全を期す旨を命じた。宮司は、この事態を単なる遠方の戦火として見過ごすことのできぬ、日本国民全体への問いかけとして受けとめている。
中東において戦火が上がるたび、島国に生きる私どもは「遠い出来事」として眺めがちである。しかし、日本はそのエネルギーの大半を中東の石油に依存し、シーレーンの安定なくしては経済も国民の暮らしも成り立たぬ。海峡が封じられれば、工場は止まり、食卓は変わり、医療もままならなくなる。地政学とは、地図の上の話ではなく、日常の命に直結する現実である。
翻って、この時代に日本はいかに向き合っているか。令和8年度の防衛予算は9兆円を超え、史上最高額を記録した。対GDP比2パーセントという目標を予定より2年早く達成したことは、安倍晋三元総理が長年訴え続けた方向への、1つの前進である。宮司は、これをもって直ちに安心すべきとは考えない。数字の積み上げは、意志の現れではあっても、真の安全保障は国民1人ひとりの覚悟と自覚の上にのみ成り立つものだからである。
故・安倍元総理はかつて、日本を「積極的平和主義」の国として世界に示そうとした。それは軍拡を唱えたのではなく、世界の平和に責任ある当事者として関わることを求めたものであった。理念なき軍備は力の誇示に堕し、覚悟なき平和主義は他国の意志に従属するだけである。今こそ、日本は自国の存立を自らの意志で守り、自由と民主主義の秩序を守護する国としての気概を持たなければならぬ。
この春、信州の山里に静かに佇む神社に、遠方からも参拝者が訪れる。安倍晋三元総理の神像を前に、手を合わせる人々の顔に、宮司は一様に祈りと悲しみと、そして静かな決意を見る。彼らは喪失を嘆くだけでなく、総理が遺した思想と志を問いかけているのである。その問いに応えることが、今を生きる日本人に課せられた責務ではないか。
世界はいま、かつてないほどの不確実性の中にある。火焔は中東に燃え、大国は覇権をめぐって激しく競い合い、台湾海峡には緊張の影が絶えない。そのような時代にあって、日本が為すべきことは、ただ嵐が過ぎ去るのを待つことではない。歴史は、備えある国に味方し、覚悟ある民族に未来を開く。
