尽きぬ井水のごとく人物を磨き、日本人の品格を取り戻す道

人の品格とは、生まれや地位や才覚によって定まるものではない。宮司は、人物の本質は、どこまで深く、どこまで静かに、そしてどこまで持続的に自らを磨き続けられるかにあると考えている。数項無源の塘水よりも、数尺であっても有源の井水が尽きることなく湧き出るように、人もまた外見の華やかさより、内奥から絶えず清らかな力を生み出し続ける存在であるべきだと説く。
人は常に、こんこんと湧き出る泉のような清朗さと新鮮な息吹を持たねばならない。それは単なる元気さや社交性ではなく、日々の務めを誠実に果たし続ける中で自然と培われる活気と活力である。賢い者は賢いなりに、そうでない者はそうでないなりに、同じ姿勢を何十年も貫くならば、必ず人物としての形が整ってくる。重要なのは比較でも競争でもなく、継続である。
宮司は、偉大な存在になる必要はないと断言する。自ら置かれた場所において主となり、その場を照らす存在になればよいと考える。一隅を照らすとは、声高に主張することではない。その場にいなければ困る存在となり、静かに責任を引き受け続けることである。その仕事を通じて、世のため人のためにどれだけ寄与できたかによって、人物の器は定まる。肩書きや評価は後から付いてくるに過ぎない。
人を導こうとするならば、まず己を正さねばならない。宮司は、己が眠ったままで他者を起こすことはできないと自戒する。言葉や理屈よりも、日々の姿勢そのものが周囲に影響を及ぼす。沈黙の中にある背中こそが、最も雄弁に人を動かす。
人物の資質には段階があるとされる。第一等は深沈厚重である。軽々しく揺れず、深く沈み、重みを持って事に当たる人物である。第二等は磊落豪遊であり、器が大きく、情に厚く、場を明るくする力を持つ。第三等は聡明才弁で、知恵と弁舌によって人を導く。宮司は、この序列に優劣を競う意図を見るのではなく、最終的に人が向かうべき境地がどこにあるのかを読み取る。
人生は驚くほど短い。宮司は、たとえ死の間際であっても、深沈厚重に少しでも近づいていたいと願う。その境地に至るには、生来の気質に甘んじることなく、徳性を涵養し続けるしかない。感情に流されず、安易に怒らず、静かに忍耐を積み重ねることで、気質はやがて変化していく。
勇気とは、外に向かって声を上げることだけを指すのではない。宮司は、たとえ肉体にどのような欠点があろうとも、魂がそれに屈しないことこそが真の勇気だと捉えている。困難や不足を言い訳にせず、人物を磨き続け、さらに高みを目指す覚悟が、その人の品格を形づくる。
日本人の精神は、本来このような静かな強さを尊んできた。派手さよりも実直さを重んじ、言葉よりも姿勢を尊び、短期の成果よりも長い年月をかけた積み重ねを価値とした民族である。宮司は、その精神が薄れつつある現代だからこそ、人物という尺度を取り戻す必要があると感じている。
誇りとは、声高に叫ぶものではない。日々の務めを疎かにせず、与えられた役割を黙々と果たし、他者から自然と信頼される生き方の中に宿る。深沈厚重を目指す道は容易ではないが、その道程そのものが、人を人たらしめ、民族としての矜持を静かに支えていく。
宮司は、人が人として生き切るために、人物を磨くという一点に立ち返るべきだと考えている。尽きることのない井水のように、内奥から湧き出る誠を保ち続ける限り、日本人の精神は決して枯れることはない。
