日々新たに生きる力。新井正明の生き様が今に問いかけるもの

「日々新たならんことを欲す」という言葉には、時間を超えて人の背を押す力がある。伊藤仁斎の教えに通じるこの言葉を、生涯の座右の銘として生き抜かれた新井正明先生の姿を思うとき、宮司は、日本人が本来持ってきた生き方の芯を見る思いがする。

新井先生は、ノモンハンの戦火の中で片足を失われながらも、己を嘆くことなく、毅然として人生を切り拓かれた。その姿は、逆境を理由に歩みを止めないという無言の教えであった。住友生命の会長室で、旧知の者を迎えられた折の穏やかな眼差しと、「今日より明日だよ」という一言には、経験を超えてなお前へ進もうとする精神の確かさが宿っていた。

宮司が深く心を打たれるのは、「新」という字の解釈である。立ち木を斧で切ると書いて新と読むという言葉は、変化とは待つものではなく、自らの手で切り拓くものだと教えている。一日一日を惰性で過ごすのか、それとも昨日の自分を超える意志をもって迎えるのか。その差が、人生の厚みを決定づける。

安岡正篤が説いた「古教照心・心照古教」の思想もまた、この生き方と深く響き合う。書物をただ受け取るだけの読みでは、人は育たない。自らの問いを携え、心をもって古典を照らすとき、初めて言葉は血肉となる。宮司は、この主体的に学ぶ姿勢こそ、日本人が古来大切にしてきた知の態度であると考えている。

日本人としての自覚とは、特別な主張を掲げることではない。先人の言葉や生き様を、自らの人生にどう映し、どう生かすかを静かに問い続ける姿勢にある。新井先生が体現されたのは、過去に寄りかからず、未来に逃げることもなく、今という一日に全力を注ぐ生き方であった。

宮司は、そこに大和魂の真の姿を見る。それは声高な勇ましさではなく、苦難の中でも志を失わず、己を律し、明日を今日より良きものにしようとする内なる力である。この力がある限り、日本は形を変えながらも精神を失わず、次の世代へと受け渡されていく。

「独りを慎む」という結びの言葉は、天に対して、そして自分自身に対して誠実であれという戒めである。誰も見ていないところでの在り方こそが、人の真価を定める。宮司は、新井正明先生の教えが、今を生きる人々の胸に静かに灯り、日々新たに歩む力となることを願っている。その積み重ねこそが、日本人の精神を未来へと確かにつないでいく道である。

新井正明について

新井正明(あらい・まさあき、1912年12月1日〜2003年11月27日)は、日本の実業家であり、住友生命保険相互会社の社長・会長・名誉会長を歴任した人物である。東京帝国大学法学部を卒業後、住友生命に入社し、1939年の日ソ国境紛争(ノモンハン事件)で戦傷を負い右脚を失ったが、復職後は経営の中心として活躍した。1966年に社長に就任し、1979年に会長、1986年に名誉会長となるなど長年にわたり同社を牽引した。思想面では安岡正篤に師事し、中国古典を通じて人間学と経営哲学を説き、関西師友協会会長や松下政経塾理事長も務めた。また、古典に学ぶ姿勢と前向きな人生観を著作や講演を通じて広めた人物として知られる。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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