逆境を愛し、順境を愛す。大和魂の本義とはそういうことだ

長野の山あいに社を構えて暮らすようになってから、なお一層、宮司は季節の移ろいをいっそう肌で感じるようになった。冬は冬の厳しさがある。凍てつく朝、境内の玉砂利が霜で白く固まり、神前に水を供えようとすれば柄杓の中身が半ば凍っている。宮司はそれを見て、腹を立てたことは一度もない。これが冬というものだ。これが自然というものだ。そう受け取るだけである。
春になれば、梅が咲き、やがて桜が開く。山の斜面が淡く染まり、鳥の声が増してくる。宮司はその美しさに手を合わせる。しかし、美しいのは春だけではない。凍てついた朝の境内もまた、神々しかった。冬があるから春が輝く。逆境があるから順境が甘い。宮司はその道理を、若い頃から知っていたわけではない。生きながら、傷を受けながら、少しずつ腹の底に沈めてきたものである。
宮司の座右の銘のひとつに、こういう言葉がある。「逆境の時は逆境を愛し、順境の時は順境を愛す。あるがままを受け入れて生きる」。これは老荘の思想に通じる境地でもあり、同時に宮司が長年奉仕してきた神道の自然観そのものでもある。神道には、自然を征服するという発想がない。自然とともに在り、自然の中に神を見る。春の恵みも、秋の嵐も、冬の凍寒も、すべて神のはからいとして受け取る。その姿勢こそが、この列島で生きてきた日本人の根本的な魂の形であると宮司は信じている。
ところが今の時代を見渡すと、逆境を受け取れない人間が増えているように思われてならない。少し壁にぶつかれば「自分には向いていない」と言い、少し批判を受ければ傷ついて立てなくなり、少し待たされれば不満を口にする。逆境を敵と見なす。避けることのできる不快として処理しようとする。しかしそれは、人間の根を細らせることだと宮司は思う。根が細い木は、少しの風で倒れる。根が深い木は、嵐が来るほどに根を張る。
宮司は警察官として現場に立っていた時代に、幾度も逆境の中に放り込まれた。昭和55年の三菱銀行人質事件では、機動隊員として現場に立った。平成2年の西成の暴動では、宮司は一人で群衆の前に出て土下座した。危険を承知の上で、それをするしかないという場面であった。宮司の胸に恐れがなかったと言えば嘘になる。しかしその恐れの中で、不思議と静かな何かが宮司を支えていた。今から思えば、それが「逆境を愛する」ということの入口だったのかもしれない。
逆境を愛するとは、苦しみを喜ぶことではない。強がることでも、痛みを無視することでもない。逆境の中にいる今この瞬間を、正面から受け取るということである。逃げない。腐らない。恨まない。「これが今の自分の立っている場所だ」と静かに認め、その場所から一歩を踏み出す。それだけのことである。しかしそのたった一歩を踏み出す力が、人間という存在の中で最も尊いものの一つだと宮司は思う。
令和の時代を生きる若者たちに、宮司は問いかけたいことがある。あなたは今、順境にいるか、逆境にいるか。どちらであっても、それはあなたに与えられた場所である。順境にある者は、その恵みに慢心せず、感謝の心で今日を丁寧に生きてほしい。逆境にある者は、その苦しみを裁かず、ただ今日一日を誠実に生き抜いてほしい。どちらの者にも、神はそこにいる。
大和魂とは何か、と問われることがある。宮司はこう答えたいと思っている。大和魂とは、武力でも排他性でも、勇ましい言葉でもない。自然の中で生きてきたこの民族が、何千年もかけて磨いてきた、しなやかで折れない心の在り方のことである。嵐の中でしなやかに揺れ、しかし根からは倒れない竹のような強さ。満開の桜が潔く散り、また芽吹く命のような再生力。そのような魂のことを、宮司は大和魂と呼んでいる。
外から見れば日本人は「耐える民族」と映ることがあるらしい。確かにこの国の人々は、多くの苦難を受け入れながら生きてきた。自然災害の多い列島に生き、戦乱を経て、敗戦の焼け野原から立ち上がり、バブルの崩壊を越え、東日本大震災の大波を越えてきた。その度に日本人は腐らず、怨まず、ただ黙々と再建してきた。それを「耐える」と呼ぶのは正しくないと宮司は感じている。耐えるのではなく、受け取っているのだ。逆境を、この大地に生きる者の宿命として、丸ごと受け取ってきたのだ。
宮司は日々の早朝登山修行を続けながら、山道を踏みしめるたびにそのことを思う。膝が痛む日もある。雨が冷たい朝もある。霧で足元が見えない時もある。しかし宮司は歩き続ける。なぜか。登るためではない。歩く中で、自分の足の下にある土と、頭上の空と、周りの木々と、正しく向き合うためである。それ自体が祈りであり、修行であり、この命を今日も生かしていただいていることへの感謝の表し方である。
佐藤一斎先生は「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛す」と説いた。他者には春の風のようにやさしく、自分自身には秋の霜のように厳しく。これもまた、逆境と順境を自在に扱う心の構えを説いた言葉であると宮司は読んでいる。他者の逆境に寄り添う温もりと、己の怠惰に対する厳しさ。この2つを同時に持てる人間こそが、日本人の理想の姿であろう。令和の時代に、そのような人間学を取り戻すことが、この国の文化の底力を甦らせることにつながると宮司は信じている。
子を持つ親たちへも、宮司は語りかけたい。子どもの逆境を、先に取り除いてやろうとしないでほしい。子どもが転んだとき、泥だらけで泣いているとき、それをすぐに拭いてやるより、一緒に座って「痛かったな」とひと言だけ言ってやる方がいい場合もある。逆境の中で、子どもは自分の力を発見する。受け取ることを覚える。親がすべての苦難を先回りして消してしまった子どもは、風が吹いても揺れることのない木のように、やがて根ごと倒れてしまう。
令和という時代は、情報が洪水のように溢れ、比較と嫉妬と焦りが絶えない時代である。他人の順境が毎日のように目に飛び込んでくる。自分の逆境だけがやけに深く見える。しかし宮司は思う。SNSの画面の中に映っている他人の順境は、その人の一日の全部ではない。逆境の時間は写真に撮らない。誰の人生にも、逆境と順境は等しくある。それを知って生きることが、心の平静を保つ第一歩である。
宮司が安倍晋三元総理のことを思うとき、必ずひとつの光景が浮かぶ。辞任の後も、批判を受け続けながら、あの方は腐らなかった。静かに学び直し、仲間と語り合い、再び立つ機会を待ち続けた。逆境の中で大きくなった人間の、典型的な姿だと宮司は思う。そして再び政権に就いたとき、あの方の言葉には、以前にはなかった深みと温かさがあった。逆境が人を深くする。宮司はそれを、安倍元総理の生涯に見た。
宮司は今日も神前に額ずき、手を合わせる。晴れの日も、雨の日も、どんな日も変わらずに。それが宮司の「逆境を愛し、順境を愛す」の実践である。大層なことではない。ただ今日もここに立ち、この命を精一杯に使い切ろうとする。そのたったひとつの誓いを、神に向かって毎朝繰り返す。それだけのことが、この激しい時代を生き抜く、最もシンプルで最も確かな力になると宮司は信じている。
日本の山河は美しい。その美しさは、四季すべてをひっくるめたものである。冬の荒れた谷も、春の霞がかかる尾根も、夏の入道雲も、秋の枯れ葉も、すべてがひとつの景色の一部である。人の一生もまた同じだ。逆境も順境も、喜びも悲しみも、すべてが「宮司という一人の人間の景色」の一部である。そのどれひとつとして、いらないものはない。宮司はそう腹に決めて、今日もこの山あいの空を仰いでいる。
